ソロライブ2日間堪能してきました。

何というのか…大音響ときらきら光り輝くステージを眺めながらタイトルのようなことを考えていた私。
ひとつのバンドにギター4人なんて必要ないし、あそこまで大音響にする必要は全く無いし、スパンコールや金糸きらきら過ぎる衣装も別に無くても良いだろうし…

だけど一方で無駄って必要なんだな~と実感しました。
無くても音楽は聴ける。でもあった方が更に楽しい。

何事にも無駄が嫌われる世情ですが、無駄にお金を使ってくれないと基本資本主義って成立しないんだよ。
まぁ高見沢俊彦ソロライブにおいてはさっきあげた事例は全然無駄では無いんですけどね。

それにしても横浜行って何故か私「銀河英雄伝説」に嵌って帰ってきました。
かえってすぐに全巻大人買い。文庫+コミックで合計2万越え!!
横浜行きで使ったトータル金額(旅費+ホテル代+食事など)を軽く上回ってしまった。
たまたま泊まったホテルに銀英伝のコミックの2巻・3巻が置いてあって暇つぶしに読んだら面白かったの。
旅行で思い切りケチったのにこんなに無駄遣いするなんて…!

いや、不景気だからといってお金を使わないと経済は更に回らなくなるのだよ、ととりあえず自分に言い訳してます。

休みはうれしい

2011年8月12日 雑記
何とか無事にお盆休みに入れました。
…といっても昨年は入ったとたん大怪我をしたのでまだ無事かどうかわかりませんが。

明日から横浜へ行ってきます。
ここのところ恒例となりつつある高見沢氏のソロライブを見るためです。
新曲も6月くらいに購入しているのですが…まだ聞いてません。
CDを聞けるのが車だけでして、その車が事故で修理に1月近くかかってしまったため結局聞けずじまいになってしまった。
まぁライブで初聴きも悪くないかな、と思ってます。

しかし明日からも暑そうです。
横浜は夏に良く行きますが結構外を歩く&日陰が少ないイメージがあります。
熱中症には気をつけたいものです。

でも…夏の暑い日というのは子供の頃からよくありますが、昔はあまり熱中症とか気にしてなかったような気がします。
真夏の一番暑い時間に外で部活動の練習とか普通にやっていたような…?
甲子園だって当たり前に日中の一番暑い時間に決勝やってましたし。

私が子供の頃に比べ日本人の暑さに対する耐性が低くなっているのか?それとも昔と今とで暑さの質が違うのか?
最近ちょっと気になってます。
年を経た。

思えば昨年の今頃は人生初の松葉杖生活に四苦八苦していた。
新しい年の幕開けには…なんとも暗雲漂う重苦しいものだった。

そして1年。

私的にも世間的にもなんとも苦難続きの1年だった。

それでも何とかこうして生き延びることができた。
また新しい年を重ねることができた。
だからまだ大丈夫なのかもしれない。

ただそれだけの希望でまた新たな1年を過ごしてみようと思う。

時代は変わった

2011年8月8日 雑記
子供の頃、テレビを見ることはとても楽しみだった。

わりと厳しい家庭で子供がテレビを見るのは夜7時から9時までと決められていた。当時は朝ラジオだったため午前中にテレビを見るなんて夏休みや冬休みといった長期の休みのときくらいだった。
だからテレビを見るというのは非常に貴重の時間だった。夜9時以降見れるのは大晦日だけだったし・・・

一方で7時から9時は夏場はたいてい野球の放映時間だった。だから7時からやってるアニメを見るために雨が降ってくれるのを物凄く期待した時期もあった。
いずれにせよテレビというのは楽しい世界を様々な面白さを見せてくれる存在だった。

しかし…ここ数年ほとんどテレビを見なくなった。
今テレビから流れる情報がひどく偏った恣意に満ちたものであることを感じ始めたからだ。

昨日お台場でフジテレビに対する抗議デモが行われたそうだ。
韓流偏重の押し付け放送に抗議するものだったらしい。
もともとこれはある芸能人がツイッターで呟いたことから大きくなった騒動だ。
でも私に言わせてもらえれば「今更何を」的な話題だった。

フジテレビだけでなく朝日テレビもTBSもそして公共放送であるはずのNHKでさえ日本のテレビ局は報道が大なり小なり偏っている。フジテレビはその中でも非常にわかりやすく偏りを見せているに過ぎない。

私がその偏りをはっきり理解したのはあるスポーツの報道だった。
フジテレビはほとんどリアルタイムで放送できるスポーツでも何故か編集して流す。それしか見ていなかったときは別におかしく感じなかった。ただアナウンサーや解説が必要以上にやかましいと思ったくらいだった。
ところがあるときたまたま同じ映像の外国放送を見る機会があった。話している言葉が違うだけの同じ国際放送の映像であるはずなのに何故か違う。今はネット社会であるから同じ映像の外国放送をいくつも検索で得ることはそれほど難しくは無い。米・英・伊・仏・露・独…などの映像見比べた結果…おかしいのは日本の放送であることは簡単にわかった。
例を挙げると、フィギュアスケートの女子シングルがわかりやすい。拍手や歓声が足されていたり(誰に?)、逆にそれらが消されていたり(誰に?)、別の選手の得点に観客が起こしたブーイングがある選手の登場シーンにかぶせられていたり…正直何のためにそんなことをするのか普通に考えれば理解できないことを何故か行ってきたのがフジテレビだ。
得をする理由がわからないので変に勘ぐるしかない。勘ぐって考えれば不快な思惑しか思いつかない。それを思ってしまえば不愉快以外何者でもない。
わざわざテレビを見て不愉快になる必要は無い。だからそれに気づいてからは私はフジテレビでスポーツを見なくなった。フィギュアスケートは主にフジテレビが多いがNHKで見れなければワールドスポーツにする。

正直私は今更デモをしたところでフジテレビがその偏見放送をやめるとは思わない。よりわかりにくいようにやるだけだと思う。
そしてフジテレビだけでなくほかの放送局も多かれ少なかれ偏っているのでこれからもそうなのだろうと思うだけだ。

かつてテレビはいろんなことを教えてくれる魔法の箱だった。
しかし今はそうではない。正しい部分もあるのだろうがそれはほんの少しかもしれないと思っていたほうがいい。

追突された

2011年7月15日 雑記
一昨日のこと、朝の通勤で運転しているとき前の車が突然急ブレーキを踏んだ。

危ない!!

と私も急ブレーキを踏む。
ギュイン、とタイヤが嫌な音を立てる。
それでもぎりぎりのところで停車できた。

セーフ~~~

と、ホッと息をついた瞬間衝撃が襲った。

ガコン!!

とこれまた嫌な音がして車が一瞬浮いたような感じになる。
そして次の瞬間、

バキッ!

と今度は前から音が。
ぎりぎり止まったはずだったのに後ろからのプレッシャーで前に当たってしまったわけだ。

結果から言えば3台の玉突き事故ということになる。
一応前の2台は止まったわけだから悪いのは追突した車ということになる。

私の車は前は小さい傷だけだったが後ろはゆがんで扉が閉まらなくなった。
後ろの外装は全て交換になるそうだ。

幸い誰も怪我が無かった。
私も後からショックが来るかと多少案じたが二日たった今も特に問題なし。
それだけは救いだった。

追突した車は社用社だったらしく、夕方には保険会社から連絡も合ったことから後は修理工場に任せてしまった。
直るまだに2週間かかるそうだがひとまず収束に向かっている。

しかし…ちょっと気になっていることもある。
そもそもなぜ前の車は急ブレーキをかけたのか?

私はわけがわからなかったが、警察の検証の際に前の運転手が話してくれた。
なんでも前の車の2台前(つまり私の3台前)がトラックだったらしくそれが荷台から何か物を落としたらしい。それを見てその後ろの車が急ブレーキをかけたのだ。それで次々とブレーキをかけていくことになったのだ。
そういう理由なら本当に悪いのはその荷物を落としたトラックということになるはずだ。
一人責めを負うことになってしまったドライバーがなんとなくかわいそうだと思わずにいられない。

ここ2ヶ月ほどブログをほとんど更新していなかった。

実は何度か書いた覚えがある。
ただ書いている最中に誤って消してしまったり、書き込んだはずなのに何故か表示されなかったりということで結局嫌になってしまったこともある。

しかし2ヶ月もの間更新しなかった原因はゲーム。
yahooをトップ画面にしているため良く見かけていた戦国ixaというゲームをはじめてしまったから、というのが一番の理由だ。

わたしはゲームはパズルかシュミレーションもしくはRPGしかしない。
ボタンを早く押したりカーソルをぐるっと動かすとか言う作業がとにかく下手だからシューティングとか対戦系のゲームができないからだ。
戦国ixaは見た感じ三国志とか信長の野望系のゲームっぽかったので私にもできるかな~と深く考えずに始め他のが4月の終わりだった。

しかし…思った以上の面倒だった戦国ixa。
24時間いつでも都合のいいときにできるというのは良いかもしれない。
だがこれは一人でやるゲームではなかった。
いや一人でやることもできるかもしれないが、それではたぶん面白さは感じられない。何しろまず勝てない、から。

簡単に言えば戦国時代の大名の家臣になって内政や合戦で城主レベルを上げ上位を目指すというものだ。
3日に1回他国との合戦があるためそれで戦功を上げるのが一番手っ取り早いのだが一人ではなかなか攻撃力が上がらないので同じ国の人と同盟を組む必要がある。
チャットや掲示板で会話しながら攻撃したり防御したりする(らしい)のだが…ゲームなんて一人でやるものという感覚の私にはなかなかついていくにはしんどい。
また合戦が午前10時から開始ということで休みの日は良いが今日のように仕事から帰ってみたら城が落ちていましたなんて状態ではやるきもなくなってくる。

でもせっかくがんばって家老クラスまで成長したので一度くらいスカッと城を落としてみたいという願望もある。

同じ同盟の人には役に立たなくて申し訳ないがまぁ自分のできる程度にぼちぼちやっていこうと思っています。

I LOVE mello yello

2011年7月8日 雑記
好きな炭酸は何ですか?
そう聞かれるといつも私は「メローイエロー」と答えていた。

年上や同世代の人には「ああ、あれ」とわかってもらえるのだが、10歳も年が離れてしまうと「何ですか、それ?」と言われてしまう。そのくらいずいぶん前になくなってしまった炭酸飲料だ。

発売は1983年というから私がまだ小学生の頃だ。
さすがにその頃は炭酸など気軽に飲むことは無かった。小遣いも少なかったし、田舎だったので売っている場所がほとんど無かった。(当時はスーパーも近くになかった)

だからたぶん飲みだしたのは中学生。確かその頃から一人で電車に乗って病院にいくなど外に出るようになったのだ。
そして高校になって世界は一気に広がる。たかが駅2つだがデパートも本屋もある街に行くようになり、またそういう街で育った人たちと付き合うようになればば当然小遣いの使い方も変わって来る。

しかしその高校生の間にメローイエローはなくなってしまった。
今まで自動販売機に普通にあったのが無くなり大きなスーパーの棚から消え(当時はコンビニがほとんど無かった…)最終的に田舎のおばあちゃんが一人でやっているようなよろずや見たいな店で在庫がなくなってしまうともうどこからも手に入らなくなってしまった。

人気が無かったのかな?私はこんなに好きなのに…
とひどくがっかりした覚えがある。

やがて私は大学に進み実家を出て一人暮らしをした。
行き先は海の無い盆地の町だった。海辺に育った私には風の吹かない盆地の気候に当初違和感を感じずにはいられなかった。

しかし…大学に行って私がとても喜んだことのひとつがメローイエローだった。
静岡ではとっくになくなってしまっていたそれがまだその地域では発売していたのだ。スーパーには無いこともあるのだがコカコーラの自販機の何割かにそれがはいっていることに半年ほど経ったとき気がついたのだ。
それから週3くらいのペースで飲み続けた覚えがある。

静岡では販売していないのになぜそこでは売っていたのか?
詳しい理由はわからなかったがメローイエローの製造工場が同一県内にあるためではないのかというのが大学のサークル内で出された結論だった。

だが私の楽しいメローイエローライフはそう長くは続かなかった。
販売している自販機は確実に減っていき…大学3年になる頃にはもうどこにも見かけなくなってしまったのだ。
私以外にも割りと好きな人が多かったのになぜ?と再び悲しんだ記憶が残っている。

それからはや10数年、メローイエローを知らない人たちが炭酸飲料を飲むメイン世代になった今になって復刻した。

復刻するという話題は割と速く知っていたのだが、その日になっても自販機に飾られないのでどこで売るんだと頭を悩ませていたら会社の同僚(同世代)が「懐かしいもの見つけた」と持ってきた。
数日もすればどこのコンビニでもおいてある状態になってテンションが一気に上がった。

毎日毎日買うようになったのだが、定価販売のコンビニは正直高い。かといって普通のスーパーではまだ見かけないor置いてあっても安くないのでネットで安売りをしているところを探すことにした。

送料も加味して1本99円が最安だったのであっさりポチッ。
ポイント値引きも入れると1本94円。
安く買えた~これで夏中飲めると喜んだ翌日、クリ○イトの2倍デーに買い物に行ったら山のような大量のメローイエローが!
値段を見れば1本89円!!

うわ~~と心の中で叫んでしまった。

悔しいので2本だけ買うことに。
まぁ大量に買ったら持って帰るのも大変だから、と自分に言い訳してみました。

でも大好きだった懐かしい味に出会えて久々にいい気分になりました。
なので今はこの先ずーっと売り続けていってくれることを祈ってます。

所詮雇われの身

2011年4月27日 雑記
今の会社に入社したときの条件が前の会社の給与の保障だった。
それで基本給と交通費、そして掃除や勤務時間後30分は残業がつかないこと更には年間105日の休みが保障できないことからそのための補填として準備手当てというものがついた。そして何より残業代、前の会社ではつかなかったのでこれは本当にうれしかった。

それでも事務員の残業などたかがしれている。残業できるのは月末月初め位で繁忙期に工場を手伝ったりしない限り月2時間から多くて5時間程度。3~7千円程度だった。

ところが今年の2月に会社に労務局が入ったことから話が変わる。
1年ほど前に工場内で重症(骨折した)の社員が出たためで安全点検の管理などの名目で調査が入ったのだ。
だが名目はさておき査察後指導があったのは主に勤務時間だった。
特に12月の繁忙期の過剰残業が問題になった。結局不足とみなされた残業手当を支払うことになったわけだ。

しかし会社はこの指導に納得がいかなかったらしい。研修生としてきている中国人には支払ったが日本人には誰も支払われなかった。
さらに最悪なことに今後そういう指摘を受けないために(受けても余分に払わないために)給与体系を見直すと言い出した。

どう変わったかというと基本給と交通費以外の手当ての全てを固定残業にすると言い出したのだ。(ついでに基本給も年齢給と言い出して下げてきた)

例えば私の場合入社当初からついていた準備手当てと経理に転属したときについた業務手当の合計をちょっと減額して固定残業にされたのだ。
そして会社のいう固定残業時間が17時間、つまりそれ以上残業しなければ残業代は払いませんというわけだ。(私はそういわれたが別の事務員は仮にそれ以上残業があったとしても払わないと言われたそうだ…)
この通りにされると私は年間で5%所得が減ることになることが計算してみてわかった。

だから私は聞いてみた。
今までやってた掃除の時間や勤務時間後の30分分は残業になるのですか?と。
掃除のため勤務時間より30分前に出勤している。月20日としても10時間、それに後半の30分が加われば17時間以上は可能だと思ったからだが…答えはもちろんNO!(掃除なんてするのが当然のものだと鼻で笑われた。おかげで今までは30分前にきて掃除だったが今は1時間前に来なければならなくなった)
更にこれからの残業は先に許可をとったものだけで通常の業務が長引いて遅くなった分は認めないと言い出した。その表れとしてタイムカードが廃止され書面に勤務開始と終了時間を書き上司に判をもらうという形態になった。当然その時間は来た時間でも帰った時間でもないわけだ。
17時間どころか事実上残業というものは存在しなくなったことになる。

会社の売り上げが下がっているj現状もわかるため100歩譲ってまだ準備手当てがそういう風に変えられるのは仕方ないと思う。
しかし業務手当てまでそれに含まれるのは納得できないとごねてみた…だがもちろん通るはずも無い。このまま勤務するかやめるかの二者選択しかなかった。

今後も昇給の見通しが無いことも同時にはっきりしたので気分的には退社を選びたかった。しかし父からは反対を受けてしまった。辞めるには次を見つけてからにしろ、と。
この不景気でネット得られる転職情報にはなかなかいいものがない。通常勤務をしていてはハローワークに行くことさえできない。有給さえほとんど認めてくれない会社なので(3年勤めて病欠の1回しか認められなかった)これはなかなか厳しい条件だ。

しばらくはこのまま我慢しなければいけないのか、と思うと本当に気が滅入ってくる。
給与は下がるのに社会保険料は高くなる。控除はなくなり更には復興のための増税がとり立たされている。
未来に希望が持てないどころか絶望的に感じられる現状だ。

精神的疲労のためか胃腸を病み満足に食事も取れなくなっている。軽い欝症状になっているのも実感している。
一方で17時間の固定残業代を払っている、という名目からかここ数日別工場の手伝いを命じられ数時間工場で作業している。
この現状にいっそ死んじゃったほうが楽なんじゃないのか、と有名人の自殺の報を見ながらそんなことを思ってため息が止まらなくなっている。

嫌な文面

2011年4月16日 雑記
3日ほど前から携帯電話に頻繁にメールが入るようになった。
どのくらい頻繁かといえばほぼ1時間に1回、朝9時くらいから夜11時前まで10数回もやってくる。

これが友人からだったら仕方ない。
私もたまに友人とほとんどチャット状態でメールのやり取りをすることがある。
会話になっているなら数はそれほど問題にはならない。

しかしそれが見知らぬ人からなら話は別だ。
どこの誰かも知らない、私が誰かわかっていない人。しかしメールは1時間おきにやってくるのだ。これが気味悪くないはずは無い。

しかも内容は○○という人が死に掛けていてあなたに財産を譲りたいといっているから返信をくれというもの。
どうしたって胡散臭いとしか言いようの無い代物だ。
これはどうせ何かの詐欺だろうとまったく無視していた。

しかし…朝から晩まで繰り返し繰り返し来るとさすがにしんどくなってくる。
○○さんを安らかに死なせてやってくれとかどうして楽にしてやらないんですか、あなたには死に行く人の思いがわからないのですかなどと責められてくる。
なんでえらそうなんだ、と腹が立つより心情的に参ってくる。

もともと携帯はメールにほとんど使っていない。
旅行に出たときに家族や友人と連絡をとるのに使うくらいで一月10回もメールがあれば私には多いくらいだ。だからあまり便利な使い方を実は知らなかったりする。

今日は出勤日だったのだがこの時節のせいか超暇な勤務になった。
あまりにも暇だったので同じく暇だが当番で帰ることのできない営業さんにちょっと相談してみた。
メールも読んでもらったが『これは不愉快だね』と納得してもらえた。
とりあえずドメイン拒否にしてみたらというのでその処理をしてもらった。すぐは無理だがしばらくしたら止まるだろうということでとりあえずほっとした。

何のためにこんなメールを送りつけるのかわからない。人をだましたいのか情報を取りたいのか、それともただ不愉快にさせたいだけなのか…
なんにせよ1時間に1度メールを送り続けるなんて面倒なことをするくらいならもっと建設的なことをすればいいのにと思わずにいられない。

ALFEE春ツアー『I LOVE YOU』初日静岡公演の感想です。
ネタバレありますので嫌な方はこの後は読まないようお願いします。














3月11日の大震災の後のコンサートツアー。計画停電などの影響で開催できないかも知れないという雰囲気さえありました。
とりあえず関東圏の越谷を延期して静岡公演から始めるという発表が3月末にあり、そしてその初日が本日行われました。
なんとなく通常とはかなり違うものになるという予想がありました。例えば全編アコースティックになるとか、メンバーだけでセットや演出がまったく無いとか…しかしそれはまったく私の妄想でした。
本日行われた公演は言ってみればいつもどおり、本当に普通の公演でした。
例えばMCの回数や話す人とか衣装がえの回数とかエレキギターやバックバンドをフルに使う構成とか…何も変わらないまったくいつもの『THE ALFFE』がステージ上にいました。
本当に普通の公演でした。でもやはり普通ではありませんでした。なんというか…普通であることが本当にすごいと思わせた公演になりました。それが本日の全体的な感想だと思います。

では普通ではなかったのはどこだったかといえば、曲の構成でしょうか?
今回のツアータイトルは『I LOVE YOU』だったのでラブソングが多くなるかと思ってました。一方であのような大震災が起きたのでがんばろうという意思を持ったメッセージソングが多くなるのではないかとも思ってました。しかし…それはまったく当たりませんでした。
ラブソングもメッセージソングもあまり多くなく、むしろALFEEのスタンダートなナンバー、わかりやすく言えばシングルとか番組などのタイアップのついた曲が多かったです。

毎回ツアーの最初の時には1曲目を予想します。当たったり外れたり色々ですが、今回は完全に外れでした。
しかし…イントロが始まった瞬間これは今回の1曲目として妥当な曲だと思いました。
妥当だと思う曲なのに思いもよらなかったのはそれが坂崎氏のボーカルソングだったから。私は100本くらいALFEEのコンサートに行っていますが今まで新曲が出たとき以外で坂崎氏が1曲目だったのは…たぶんなかったんじゃないかな?
それだけではなく今回は全体的に坂崎氏のボーカルソングが多かった。こんなにたくさん坂崎氏の歌を聞いたのは初めてというくらい、少なくとも本編中は一番多かったんじゃないかな?(普段は高見沢氏>桜井氏>坂崎氏という風に坂崎氏の曲は少ない)
あとは定番の曲もあったけれど全体的に最近あまり演奏していない曲が多かった。それも…アレンジが効きすぎて何曲かなかなかわからない状態になってしまった。あれは、ちょっとやりすぎ?と思わないことも無かった。なかなかなじむまで大変そうですね。

あれだけアレンジしまくったくせにアコースティックな曲は1曲も無くすべてバンドで押し切ったという感じでした。なんというか物凄く『普通』という印象、今まで通りいつも通りで行くために『普通じゃないことはしない』ということにこだわった感じでした。その意思がステージ全てを包んでいるのを強く感じました。
震災のことはほとんど触れず。アンコールで『これからの日本のために』三三七拍子をやった(手作りの扇子は壊れそうなのでもう少し丈夫なものでお願いしますw)くらいかな?
そしてラストの曲、新曲でした。おそらく震災後に急遽作った曲、高見沢氏らしいストレートでシンプルな歌詞でした。それだけがいつもと違ったことだったのかもしれません。

私が今日のライブの中で一番印象に残った曲が『祈り』でした。
3月11日私は会社のテレビで海に呑まれる気仙沼港を見ました。仙台市の川沿いの集落が津波に覆われてゆく様を見ました。そしてその翌日の12日に自宅のテレビでその後の瓦礫に覆われたり何も無くなったしまった町の光景を見ました。
その画面を見たとき『祈りの光景だ』と強く感じたことを覚えています。ALFEEの『祈り』という曲は廃墟のイメージを歌っています。といっても戦場の光景なのでしょうけど大災害でもまた同じような光景が作られるのだとあの画面を見て初めて知ったのです。
だから凄惨な被害の光景を見て『祈り』が聞きたいと思いました。同時に『祈り』を今聞きたくないとも思ったのでした。『祈り』の歌詞が被害の光景が痛すぎてそんな相反する思いを抱いたのです。
そして今日の公演で『祈り』を聞きました。メンバーがどういう意図で歌ったのか、それは想像するしかありません。でもきっと何かしらの思いがあったのだろうと信じています。イントロを聴いた瞬間、こみ上げてくるものがありました。泣きませんでしたが目頭が熱くなりました。私は…やはりこの曲を聴きたかったのだろうと思いました。今日の公演で聞けて本当に良かったと思います。

初日ということは色々な部分で垣間見えました。三人のやり取りでも妙に間延びしたり段取りどおりに行かなかったり…まぁそれは回数をこなすごとにこられていくのでしょう。今回はこれでラストなので変わっていく様子が見れないのが残念です。
そしてメンバーの声はやはり初日という感じでした。
高見沢氏は物凄く金属的な声でしたね。キンキンと耳に痛いwまぁがなりが無いのは良いことです。歌っていくうちにまろやかになり負担がかかると割れたりつぶしたりするのでこういうある意味クリアーな声は初日ならではです。
桜井氏はとっても綺麗な声。初日近くはいつもこんな感じです。とても綺麗だけど多少物足りない印象。なんというか張りはあるけど伸びが無いというか…艶が足りないというべきか。すごくクリーンなのは良いんだけど、ね。桜井氏は5・6本こなしたくらいの声が一番良いんだよな~割合静岡はいつも初日近くが多いのでもう少し歌いこんでから来てほしいな、と思ったりします。でも後半にいくにつれいい感じになってましたね。
坂崎氏は二人に比べればよかったんじゃないかな?いつもより曲が多い分よく歌ったなという印象でした。

本日のタイトルはその坂崎氏のMCの言葉。
会場はメンバーの声はマイクとスピーカーを通し響いて聞こえるけど坂崎氏には桜井氏のMCの声が聞こえなかったみたいで『唇の動きを見て』理解しているといってました。(本当かどうかは不明。途中でモニターの音声を上げてましたから)その会話の中で『こっちの二人はドクシンジュツの持ち主だから』と笑いを取ってました。もちろん唇を見ながら会話ができる読唇術ではなくいまだに二人が独身であるという意味が正解です。思わずこの言葉に桜井氏が『上手い!』と声を上げてました。
こういう普通の会話がMCの中で繰り広げられていたことがいつもどおり普通なんだなという印象を強く感じさせたのでしょう。
『普通』であることは素晴らしい事、それを強く強く感じさせてくれた本日の初日公演でした。

春が来る

2011年4月1日 ALFEE
震災の影響でどうなるかと思っていたALFEEの春ツアーについての発表があった。

内容は関東圏(東電圏)以外はそのまま続行。
関東圏については4月中の公演は延期、それ以降は計画停電の状況を見て、ということらしい。
賛否はあるかもしれないが自粛過ぎるのは前の記事にも書いたが経済活動の妨げになる。復興の費用をあまりに国債などの債券に頼りすぎるのも後々の負担増になる。景気を再び底に陥れないためにもやれる部分はやったほうがいいと私は思う。

ともかく春ツアーは走り出すことになった。
そしてその発表の結果初日だった越谷公演が延期となり2日目だった静岡が初日になってしまった。
私は今回はこの静岡だけの予定だったのでなんといきなり始まって終わることになったわけだ。

ツアーの初日というのはたぶん想像できると思うがチケットがとりにくい。ALFEEは毎年春と秋の2回ツアーを行っている。1993年から通いだしているからいままでに36回初日があったわけだが、チケットが取れたことは2回しかなかった。そしてその2回も決して通常の方法でチケットが取れたわけではなかった。

2回目の時はその年限定のプレミアム会員になっていて、それになると1回だけ好きな公演のチケットを買える(貰える、ではないw)という特典があったのだ。だからその特典を利用して普段取れない初日のチケットを申し込んだのだ。

そして初めてツアー初日に行けたときもやはりちょっと変わったチケットの獲得だった。
1990年代中ごろの春ツアーだった。場所は神奈川県の綾瀬文化会館。
実はこの公演のぴあやセゾンといった通常の方法でのチケット発売ではまったくゲットできなかった。
しかし…公演日の1週間くらい前のことチケットが何故か売り切れていないという話が入ってきた。私自身も当時知り合いだった人たちの中の何人もチケットが取れなかったとがっかりしていたのに何でそんな話が出てくるんだろう?と首をひねりながらも聞いた電話番号に連絡すると確かにチケットがあるという返事だった。そこで1枚ゲットしたのだ。

とにもかくにも初めて初日のチケットをゲットしてうきうきした私。早速その準備に取り掛かった。バイト時間を調節し着ていく服を購入した。そして…電車の切符を買いに行こうとして再び頭を悩ますことになった。
場所は神奈川県の綾瀬市。だが何故か東海道線にも横浜線にも小田急線にも『綾瀬』という駅がないのだ。思わず地図帳を開いて確認するが…よくわからないが綾瀬市近辺に線路が見当たらないのだ。

神奈川なのに?市なのに?何故??

数日悩みぬいたが答えが見出せず結局前日になって直接会場である綾瀬市文化会館へ電話をかけた。八王子方面からどうやって会場に行ったらいいですか?と。

答えはいたってシンプルだった。曰く、
「バスで来てください」

結局会館で教わったとおりに翌日神奈川に向かった。海老名駅で電車を降りそこから会館へ向かうバスに乗る。バスは住宅地の間の狭い道をゆらゆらと揺れながら走っていく。乗客のほとんどは私と同じコンサートの客だった。
住宅が立ち並んでいる光景を見ながら「こんなに人が住んでいるのに電車が走っていないなんて不便じゃないのか?」と物凄く不思議に思ったことを覚えている。
揺られること20分以上かかって会館の最寄の停留所に着いた。時間はまもなく4時、物販の始まる時間だ。列に並ぼうと会館の正面に回ったとき、それまで私の持っていた疑問が一瞬で氷解した。

綾瀬市文化会館の正面には車の通る道路が走っていた。そしてその向こう側は…平原だった。鉄条網を張り巡らせたそのだだっ広い平原はその少し前沖縄で見た光景によく似ていた。おそらくは米軍キャンプ地だったのだろう。その土地を避けて鉄道は作られているのだと理解した。
神奈川という都会なのに不便な土地もあるもんだとその時知ったのだった。

余っていたチケットが会場発売分であることもそのときには知っていた。
電車が走っていない、バスを使っても時間がかかる、しかも会場で売っていることをほとんど告知していなかった、そんなもろもろの事情で(今ならネットがあるからすぐ知れ渡るだろうが…)初日であるにもかかわらずチケットが余るという現象を引き起こしたのだろう。たまたまその情報を耳にした人だけ、あるいはとりあえず初日の会場に行ってみようと思った人だけ直前にチケットをゲットできたのだ。

その日のことは今でも時々思い出す。コンサートの中身もその当時のことはよく覚えているが、それ以外にも印象的な出来事があったからだ。

会場について物販の列に並んでいたときのこと。ぼんやりと広がる草原を眺めていた私の目に一台の車が目に入った。確か軽トラックだと思うのだが信号の手前でよろっとよろけた。そしてそのまま…交差点の手前に路駐していた車にぶつかったのだ!

ガコンッ!と鈍い音が響いたとき、私の前後で列に並んでいた人たちがみんなそちらの方角に向けて走り出そうとした。野次馬なのかけが人救助のためかわからないがかなりの人数が列から動いたのがわかった。
私自身はえ??という感じでまったく動けなかったのだが、その動きにさらに驚かずにいられなかった。
しかしそのあともっと驚くことがあった。

数十人が動き列が崩れようとしたのを見て、列の整備をしていたイベンターのお兄さんが拡声器を使ってこういった。
「列を離れないでください!離れた方は最後尾に並びなおしていただきます!」

その言葉に走り出した女性たちの足はぴたっと止まった。そして次の瞬間、さっきよりより速い速度でみな元の位置に戻ったのだ!

ファン心理ってすごい!!
その見事な女性たちの動きに妙な感動を抱いたことをよく覚えている。

列はすぐに元に戻った。しかしよく見るとまだ事故現場に向かって走っていく女性がいる。
同じくその女性に気づいたイベンターのお兄さんが再び拡声器で「列を離れないでください」と声を張り上げた。しかしその背後から声がかかった。

「すみません。あれ、あの子の車なんです」

列に並んでいた女性が壊された車を指差して申し訳なさそうにそういった。
お兄さんは、そうですか…と声をかけた女性に小さく呟くとそれ以上はその件に触れなかった。
おそらくあの女性は車で会場まで来たのだろう。そしてすでに列ができていることを見てとりあえず車を置いて並んでしまったのだろう。そしてその車が事故にあってしまったのだ。
その後私は無事に物販を買って会場に入ったのだが事故がどうなったかわからない。あの女性は無事にコンサートに行けたのだろうか?もう確かめるすべはない。
コンサートの初日というと今でもあのだだっ広い草原を見たときの印象と事故のときの光景を思い出す。

今回、予想外に初日になってしまったコンサートに行くことになったわけだが、おそらく震災の影響を感じないわけにはいかないだろうと思っている。それでもなるべく普通にできることは普通にやっていくべきだと思うから素直に初日に立ち会えることを喜びたい。
どんなコンサートになるのか、今からとても楽しみである。


3月11日の震災後数日間ほとんどCMがないオールNHK状態になった民放を見て、こういうのもやればできるんだ~とすごく感心した。
そして週が明けになってテレビの顔ぶれが局アナからいつもの見慣れた顔になったときCMが復活していた。とはいえ当初はいわゆる企業のCMではなく『AC~』という音の響き渡る政府系の啓発CMばかり。こういう時期だから民間企業はCM放送を手控えたというのは容易に想像できたので、これはこれで仕方ないし今の時期に合っているだろうとすんなり納得できた。

しかし…何度も何度も繰り返し繰り返し同じ画面や音声が流れるというものは以外に苦痛だとまもなく感じ始める。単独で見ればどれもいい内容なのだが…放映しすぎたことでなかにはうっとうしいとか耳障りだと感じ始めるものが出てきてしまった。

「なんだか嫌になってきた」
と私が口にした頃、CMから『AC~』という音声が消えた。最初は100%すべてのCMに流れていたが今となってはこの名前が音声で流れるのはほんのわずかになっている。

テレビ局や出ているタレントに苦情を言うほどではないがいささかやりすぎた感が強いのは間違いない。何種類かあるのだからおなじCMが2回3回とか繰り返さないようにする程度のことはテレビ局で気を使えなかったのだろうか?と思わないでもない。

今週になってようやく一般のCMも増え始めた。今ではACと一般のCMが半々くらいになっている。さらに当のACのCMも震災後新しいものが作られてうっとおしいくらいによく見た数々を目にする機会が確実に減った。ようやく落ち着いたなとちょっとほっとしている。

ただ今でもACのCMに気に入らないことがひとつある。
それも震災後新しく作られたCMだ。今の私たちができること、という内容でいくつも文字が浮かんでいくものだ。
節電する、むやみに買いしめしない、などなどほとんどのものは妥当であると思われる。

でもひとつ、これはないだろ、と思うものがある。
それは…『必要のないものを買わない』というもの。買いしめをしないは別に出てくるから同意味ではないのだろう。だとしたらこれは正しくない。

自粛ムードは結構だが、必要なもの以外買わなかったらそれこそ不景気感が増してしまう。いまただでさえも下降気味の景気がますます冷えてしまったら…どうやって復興の財源を出すんだ???
この部分だけは早急に訂正を入れてほしいと願っている。
心の中というものはどれほど親しい人であっても垣間見ることはできない。長い付き合いになればなんとなくこんな風に思っているだろうな~と感じる瞬間というものはある。しかし必ずしもその通りではないことがあるのもまた当然のことだ。

自分にとって中学時代までは思い出したくない時間だ。この頃にいい思い出なんてひとつもない。今となってはあってもなくてもどうでもいい時間になっている。

だからというわけでもないが高校時代は結構思い入れのある時間だ。学校そのものやクラスといったものにあまり思い入れはないのだが部活動で知り合った仲間は私の中で今でも大切な存在である。
とはいえ卒業後、ほとんどが県外に出てしまったため年に1回でも会える位の付き合いがあるのはほんのわずかでむしろ卒業後音信不通になってしまった割合のほうが高い。
しかし今はネット社会である。本人が望む望まないにかかわらずネットという媒体を通してその存在を認識できることが時々あるのだ。

このブログを始めた頃にたまたま名前を検索したら当人の情報に行き合って連絡したという内容の記事を書いたことがある。
そのときは十数名検索して3人がヒットした。そのうちの二人がこの高校時代の仲間だった。
しかし先日もう一度同じようなことをやったらその時はヒットしなかった当時の仲間がもう一人出てきた。しかも本人の本名のままブログを書いていたのだ。
その彼は卒業後かなり経ってから暑中見舞いや年賀状が届くようになった人で、近況というか住んでいる住所だけは知っていた。しかしブログを開設していたことはまったく知らなかった。

ブログにはメールアドレスも載っていたので当時の部活動仲間の連絡役をしている友人にそのことを連絡した。実は住所しか知らないため何か連絡ごとがある場合彼だけは葉書でやっていたため急ぎのときなど困ることが多かったのだ。しかも最近ではあの東北を襲った大地震の被害地域に近かったため無事かどうか確認することも非常に面倒くさい手法をとらざるを得なかったのだ。

メアドがわかれば今後の連絡手段も楽になるだろう…私はそのくらい簡単な気持ちで友人に彼のブログを教えたのだ。

しかし…その後彼女から思いもかけないメールが届いた。
簡潔にその内容をまとめると、
『あのブログにはかなり引いた。もう連絡したくないというか縁も切りたい』
というものだった。

実は私も彼のブログの内容には多少驚いた。…どうも思想的な活動をされているらしくそれに沿った内容のブログだったからだ。
少なくとも高校時代の彼にはそういった主張が見られなかったので大学時代以降にそうなったのだろうとしか推測できない。
人というものはわからないものだ…というのが私がそのブログをざっと流し読んだ感想だった。

私としてはまぁ思想というのは個人個人のものであるので自分にかかわらなきゃ別に良いやという感じで流してしまったのだが、連絡した友人には受け入れられなかったらしい。
こちらとは高校1年から早20年くらいの付き合いだがこんなに過剰に反応するとは逆に驚いてしまった。

軽い気持ちというかただ一情報として伝えたことが、昔の仲間の間に溝を作ってしまったようでどちらに対しても申し訳ないことをしてしまったと後味の悪い思いをしている。

新PC

2011年3月26日 雑記
だましだまし使っていたPCはやはり駄目だった。

何度か先生に動かしてもらったが、そう毎日来てもらうわけにもいかず…そしてプチプチと切れまくるPC状況に耐えられなくなった父が『買い換える!』と言ったことで勤務先から戻ってきたらもう新しくなっていた。

本当は私が個人的に持ってるノートPCが先に買い換えるつもりだったのに…
こちらは結局テレビを買ってしまったためまだまだ先になってしまった。
まだ動くんだろうか?いまだに95なんだけど…(電源が怖くて入れられない)

ところでこの新しいPCはいつもどおり先生が購入・セッティングしてくれたため私も父もよくわかっていない。一応前と同じバージョンということなんだけど画面が違う。
私は割りとネット画面を同時に開いておく人間なのだが、今回のPCはそうなったときとても見難い。前は下段にタグのようなものが並んでいてそれを選べばよかったが今回はそういったものが出ないのだ。

それでもいつ切れるかいつ切れるかとびくびく使っていたころよりもずっといい。画面も前より鮮やかになった気がする。
そういった良いところを喜んで早く自由に使えるよう大事に扱っていきたいと思っている。
本当なら2日前に到着するはずだったテレビがようやく届いた。

普段殆ど自室でテレビを見ないのでなくても全然構わないのに、たまたま無い時期に大地震が起こってしまい情報を得るためにいちいち階下に降りる必要に迫られるなんて相変わらずついてないというか間の悪い私だったりします。

おまけに2日も遅れるなんて(ちなみに買ったのは3月6日、つまり震災前だったりする)・・・と思っていたのですが何とか連休中に着いてくれたので良しとします。

今までは14型テレビの横にビデオデッキとDVDプレーヤーを置いていたのですが狭い場所に幾つも並ぶのも不格好なので思い切ってDVD/ブルーレイ付き32型テレビというちょっと高価なタイプに変更しました。といっても相変わらずビデオテープは捨てられないのでビデオデッキだけは取ってあるのですが・・・

しかし今まで14型テレビだったためか32型がデンと鎮座すると、デカイ!!本棚の幅とほぼ同じそのサイズはなかなか迫力があります。おまけにリビングで見るよりずっと近くで見るようになるので音が響くというか耳に障る・・・ほとんどDVDをみるかゲームをするかしか使わないのにこんなにでかいのにしなくても良かったかな~?と今更ながらに思ったりして。

日本中が節電の必要性を叫んでいる時期なのでしばらくはあまり使う事はないだろうと思うのですが、あるべきはずのものがあるべき場所にあるという普通がようやくやってきたと言うことでなんだかちょっと嬉しかったりしてます。

日本脱出

2011年3月17日 雑記
中国では毎日日本の震災情報がほぼリアルタイムで放映されているらしい。
何故かと言えば・・・中国は報道統制されている国であるから。
つまり得られては困る情報に関心を持たせないために中国に都合の悪くない情報に視線を集める必要があるのである。
リビアの独立運動などの情報が入っては困るから・・・取りあえずかわいそうな日本の情報を流しておけということらしい。日本の悲惨さやお粗末さを大々的に放映することでもう日本は駄目だという印象を植え付ける意図もあるのかもしれない。
中国国内では今日本は危険だという情報が飛び交っているらしい。
中国政府の大々的な帰国支援もそれを更に煽っている。おかげに日本脱出する中国人が後を絶たない。私が勤めている会社にも中国人が十数名いるが1/3程帰国することになった。本人の意志と言うより本土から家族がしきりに帰国を進めたためだ。それだけ凄い騒ぎになっているのだろう。

まぁそれは中国だけではないのである程度は仕方ない。
原発の泥沼化を見れば否定できない部分もあるし、中国だけでなくロシアやフランスも帰国する国民のために今飛行機を待機させている。

しかし・・・中国政府がチャーターした便や中国の飛行機会社の機体はともかくJALやANAといった日本の飛行機会社の中国便にすら日本人が乗れないのはどういうことなのだろう?
今日本人が中国便を取ろうとすると中国人が優先だと断られてしまうのだ。

中国側の圧力があっただろうと予想はつくが自国民の益を全否定してまで尽くさなければいけないのだろうか?
東電のお粗末さを見ていて、他国からの援助を求める身として、強くでれない立場はわからないものではないが・・・なんとも情けない国になってしまったものだと今朝の急激な円高などを見ながらため息しか出ないでいる。

揺れる夜

2011年3月16日 雑記
昨夜自室で本を読んでいた。
ここまで読み終わったら寝ようと思っていた時部屋が揺れた。
ギシギシと軋む本棚からは流石に何冊か本が落ちてくる。

これは震度4位だな

そう思って私が取った行動は・・・本棚を押さえることだった。
床から天井まで届く本棚でまず倒れる心配はないのだが、横にスライドして棚が外れるのを見て崩れるのはあるかも、と思ったのだ。
前に静岡で地震があった時本に埋まって死んだ人がいたなぁ・・・と思い出しながら。

今地震が起きて心配なのはなんと言っても津波だ。
揺れが治まった時その情報を見ようとしてハタと気がついた。

テレビがない・・・

実は先日アナログから切り替えのためテレビを購入した。在庫がないと言うことで今待ちの状態だが、古いものだけは先に引き取ってもらったのだ。そんなわけで今私の部屋にテレビがない。
仕方なく隣の部屋で同じく本を読んでいた母にテレビをつけてくれるように頼むことにした。

しかし・・・返事は否。
理由は「テレビが怖いから嫌」というもの。ここ数日の地震被害にテレビを見たくない症候群になっていたのだ。

津波情報見ないで死んでも良いのかと思ったが頑固な人なので言うだけ無駄。仕方なく階下に降りて情報を得ることにした。

陸地の震源であるので津波はない、と言う情報を聞き取りあえず予定通りに寝ることにした。
しかし、眠れない。

なぜならパトカーや救急車、更にはヘリコプターまでが騒がしく駆け回るのだ。
近所でそれらが必要だったのではなくおそらく一番被害があった富士宮や富士の方面に出張するのだろう、何台かが纏まって駆け抜けていくことが何度か繰り返されるのだ。
夜中にかかわらず出動されるのだ文句は言えない。それでも気にせずに眠れるほど大胆な人間ではない。仕方なく地震の揺れを感じてから3時間程度起きたまま過ごしてしまった。

まだ被災地で苦労している方々が大勢いる。少しでも早くみんなが安眠できるようになってくれればいいのにと心から願う。

買いだめる

2011年3月14日 雑記
会社の備品を買いにショッピングセンターに行ったところ、駐車場の空きがない位いっぱいだった。中に入るとレジには長蛇の列が。
トイレットペーパーにティッシュ、電池に懐中電灯、防災グッツなどなど・・・この数日間のテレビ放送に触発されたのだろうかと思わせる買い物が多かった。

今急いで買わなくても・・・

そのあまりの集団にそんなことを思ったりしたが、すでに関東のスーパーなどでは即席麺や米・トイレットペーパーが店に並んでいないという。

独身の友人が関東にいるので送ってあげた方が良いかなと思ったりするが今配送便も当てにならないようなのでどうしようか悩んでいる。

私は独身だが家族がいるので家のことは殆ど心配しなくて良い。
買いだめに走る姿勢をどうかと思うが同じく今回の悲惨な災害に不安を抱いた人間として何かしないわけにはいかないとする人の心理はわかる。
買いだめた量の分だけ不安が消えると言うのならそれは安い買い物かもしれない、備品一つを持ち列を並びながらそんなことを考えていた。

暇になる

2011年3月13日 雑記
昨日、予想外に休日になってしまった。
テレビは一日中災害番組だし自宅待機で外出できないので時間つぶしでやるのは本を読むかパソコンをいじるか、しかなかった。

しかしながらここ3週間ほどパソコンの調子が悪い。
使っている時突然パシャッと電源が落ちてしまったり、同じく使用中にフリーズしたり・・・その回数も日を追う事に頻繁になっていった。

そしてついに本日、電源が入らなくなった。
なんだかよくわからないがエラー画面のまま動かなくなったのだ。

休日だからといって特に出かける予定もない。
本もだいぶ読み進めてしまった。
そして一番時間をつぶせるパソコンが使えない・・・
そうなると何もやることがなくなってしまう私。

こういう時自分ってつまらない人間だな~と感じる。

幸いパソコンは午後に家のパソコンを見てくれる先生が来て動くようにしてくれた(とはいえ原因は不明だそうだ・・・)ので今こうやって遊べることになった。
しかしもう少し為になる何かしら趣味などを持った方が良いのでは・・・と予想外に暇になると考えてしまう。
昨日のこと・・・ゆらんゆらんと激しくはないが大きな横揺れを感じた。
かなり長く揺れたので一時事務所内の人間が外に避難することに。
しかしながら10分ほどすると治まったので再び事務所に戻って仕事をしていた。

東北の方で酷い被害、と言う情報がまもなく入りテレビをつけて情報を得ながら社内及び社外に出ている人員の無事を確認する。
しかし・・・県内はすぐに確認できたものの関東方面に出張した営業の安否がなかなか取れない。携帯電話がおそらくパニックしているのだろうというのはわかったが他に手段がないので数分おきにかけ直すこと1時間、4名の無事が確認された。
千葉方面にイベントでいっていた営業からは「揺れが凄くて立ってられなかった。近くで道路が陥没したり水道管が破裂したりしている」などと言う話を聞くと本当に大きな地震だったと実感する。
その間にもテレビは刻々と被害を伝えてくる。
中でも津波の映像は本当に怖ろしいと感じられた。

チリ津波の話など何度か聞いたことがあった。私の津波のイメージは高さのある大きな波がざっぶんと来るというものだったが、実際に映像を見てそれが間違いであることがよくわかった。
某局で解説していた方が「海がそのまま移動してくるようなもの」と表現されていたがその通りだと思う。

会社は2工場は地震のためそのまま終業。私の居る事務所とその下の工場だけはそのまま営業を続けた。
定時ちょっと過ぎに帰路についたが、家について10分ほどしてテレビから近くの幹線道路が通行止めになったと情報が流れてきた。
危なかった・・・あと20分会社を出るのが遅かったら帰り着かなくなるところだった・・・

全てのテレビが特番状態になりまだ余震が続くなか一夜が明けた。
今日は出勤日だったので朝から情報を見たがやはり道路は通行止めのまま。
しかし新幹線は通るような話を聞いたので東海道線は動いているのかも・・・といつもより1時間以上早く家を徒歩で出た。
通行止めの影響で足止めを食らっている車の列が延々と続く中、駅へ向かって20分ほど歩く。
実は私の住んでいるところの沿岸部は昨日の早い時点から避難勧告が出ている。しかしながらおそらく避難している家はないだろうと歩きながら思った。電気がついていたり普通に家の前で散歩や体操をしていたりする・・・つまり日常が展開されているのだ。
道の100mほど南はすぐ海という場所ながらこの辺りはまだ大丈夫という意識があるのだろうと思った。
昨日の映像では海から1.5キロ以上離れたところにも津波が押し寄せていたがその辺りで逃げ遅れた人たちの中にもそんな意識があったのかもしれないな・・・と少し寒気がした。
駅へ着いてみるとやはり運行の見通しは立たないという。駅もまた避難勧告地域内で説明してくれた駅員さんもやはり少し怖いようだった。

帰りは海に近い旧道から少し高い新道で帰ってきたが通行止めが解消されない以上車両の列は解消されないわけでこの人達はいつまでこうしているのだろうと本当に気の毒になった。どこかで時間をつぶすにもこの辺りにはその場所がない。西側にはもう出る手段がなく東側も脇道はある程度通れるが幹線道路はやはり通行止めなので荷物等の行き来は難しい。
この辺りってある意味陸の孤島状態なんだ・・・としみじみ感じながら家に戻った。

取りあえず上司に状況を連絡し本日は自宅待機と言うことになった。しかし余震が続き大津波警報が解除されない以上状況は変わらない。今のところ電気も水道も普通に通っているので問題ないが長期にわたるとどうなるだろうと不安も感じる。
実際被害に遭っている地域から比べればなんてことない不安かもしれないがそれでも一刻も早く状況が改善して欲しいと願わずにいられない。

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