日記に書きたいと思うことはたくさんある。
一日過ごしていて今日の日記はこのことについて書こうか~なんて思うことも何度もある。社会的な出来事やイベントごとを見てそれについて考えたことや思いついたことを書いてもいいかなと感じることも多い。

しかしながら一日が終わりPCの前に座ったとき、そう思ったことをそのまま書くことはまずない。
それは思ったことが書いて残すほどのことかと言うこともあるし、あるいは思いついたときから時間が経ってしまいもはや自分の中で書く情熱を失ってしまっているからであることも多い。

だが書かないことの理由で一番多いのは自分が思ったことが本当に人の目に触れても良い内容なのか?と疑問に感じてしまうことである。
一方的な意見をそのまま垂れ流しにすることは決してよいことではない。特に感情が入ってしまっている場合は危険だ。言葉は時に凶器となりうる。私はその危険を良く知っているつもりだからできるだけ冷静に文章は書きたいと思っている。
そのため憤ったり不快に感じたとしても自分の中である程度客観的に状況判断ができるまでは書くべきではいと言う結論に達してしまうとなかなか文章に起こすことができなくなってしまう。そのうちに・・・時間が過ぎてしまうことによって今更書いても意味がないかな~と結局書かないままできてしまうことが多い。

ちょっと前何度か触れたフィギュアスケートの話は、かなり批判色が強いものだ。これについては仮に否定的意見を書かれてもたぶん自分の考えは変わらないだろうと書いたものだ。
オリンピックの商業化の悪癖の象徴みたいになってしまった今回のバンクーバーフィギュアに対して私は決してそれが正しい路だとは思いたくないし思わないだろう。結果についてもきっとずっと納得できないままだ。(ソルトレイクについては最初の判定どおりのままで良かったと思ったが・・・)
まして世界選手権については選手の演技は見ても順位得点についてはすでになかったことになっている。まぁ別の意味で問題を感じた人が多くなり様々に声が上がり始めているのでそれはそれでよかったのかもしれないが・・・体質改善と言うものはどこの組織もすぐにできるものでない以上まだまだ不快な思いをしないわけにはいかないだろう。ただテレビで見るだけのファンですらこの状態なら実際中に居る選手達の苦労を思うと本当に心が痛む。それだけに書かずにはいられなかった。

だがそこまで強く思えることと言うのは実際あまりない。それだけにこう何日も書かない日が続くと今度は書くことが怖くなってくる。書きたい、今日はこれを書こうと思うことすらなくなってくる。不思議なことだと自分でも思う。
別に誰かに向かって書いているわけじゃない。元々は自分の記憶整理のために書き始めたのだからもっと思ったことを素直に書けばいいのに・・・なんて自分に向かって思ったりしてなんだか可笑しくなってくるが実際には笑えなかったりするわけだ。

思うことは自由であり考えは日々変わり行く。人の心を覗く術がないためそれがどんなものであれ外に現さない以上批難を受けるいわれはない。しかし文字として残された言葉は(たとえ後に削除したとしても)存在したをいう事実がある限りその責は免れない。

言葉と言うものは自由であるがとても不自由なものであると言う事実を日記を書こうとするときにいつも痛感している。


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