正しい大衆演劇の見せ方・・・?
2010年3月7日 宝塚歌劇 コメント (1)ヅカ版の『ベルサイユのばら』って大衆演劇だったんだ・・・
それが今回の雪組公演『ソルフェリーノの夜明け』を見た最初の感想だった。
往復13時間以上電車に乗って土・日の2公演を大劇場で見てきた。
今回の公演は宝塚でベルばらをやった植田先生の作品だ。正直昭和丸出しの演出家でこれまでいくつか見てきたが面白かったと思ったことのない先生だったのでまるで期待はしていなかった。青春18切符が使える期間でやっている公演だったのでチケットを取ってみただけだった。(ハマコさんとゆみこさんのラスト公演を見たかったのが一番の理由だが・・・)
ベルばらの原作ファンとしてはあのぶっ飛んだ世界をベルばらと言った感覚は全く理解できない。しかしこれまではベルばらを大衆演劇だとは思ったことはなかった。しかし今回考えを改めることになった。なにしろ題材こそ違え見せ方はまるきり同じだったからだ。
演出を呼べるものはたぶん殆ど無い。ただひたすら台詞で説明し話を進めていく芝居だ。セリも盆も・・・その他大劇場の機能は幕以外殆ど使われない。書き割り背景に設置したら動かないセット、舞台とカーテン前と銀橋を交互に使っていくだけだ。
登場人物が話す以外の情報は全く無いといっていい。しゃべる時はひたすらしゃべる、台詞のない時間は殆ど無いため真剣に聞いていると時々意識が遠ざかる。(長時間電車に乗った疲れもあると思うが・・・)
ただしベテランだけ合って泣かせるところは妙に泣かせる。何回かそう言う部分があるのだが眠り掛けていた意識が急速に引きつけられるのは(演者の熱演もあるが)なかなかといわざるを得ない。
後はひたすら主題歌を繰り返す。何回歌ったかわからなくなるくらい聞くので2公演見ると歌詞を含めて完璧に覚えてしまうという…なんというか妙な植田マジックに落とされてしまう。
結局面白かったかどうか自分が気に入ったかはともかく芝居を見たという気にさせてしまうあたりが大衆演劇とよく似ている。
今回に限ってはベルばらのように不愉快に感じるシーンがない分だけ結構ましかなと思う。何しろ主人公に恋愛場面がないのでストーリーに破綻が生じない(植田先生の場合主人公に恋愛場面があると人格がおかしくなる)ので順調に進んでいくのだ。
ただこれから東京公演に行くにあたり多少手直しをするべきだと思う。脚本はたぶん変えられないと思うので演出をちょっと手直ししたらもう少しお客も納得できるのではと思うのだ。
一つ目は最初のショーの部分のみなこちゃん登場場面。トップ娘役の最初の登場が下手中段の幕から走ってだったときには「しょぼっ!」と正直笑ってしまった。
あの場面前列真ん中にいる水さんと花かごセットの間に空間があるのでその間からセリ上がりすればいいと思う。どこから現れたかわからないような人影からではなくきれいなトップ娘役がきれいな衣装でセリ上がってきたら「わぁーきれい~」となるのではないだろうか?
二つ目は最後のはまこさんの心変わりの場面の理由付けの弱さである。主人公が「自分を撃て!」といって心変わりするような人物ではないことはオーストリア将軍の場面でわかっている。最後の場面はまこさんは高い位置にいるので2階席からは表情もよく見えない。キムちゃんがまったく変わらないのにはまこさんが心変わりするのは正直納得できなかった。
だからあの場面水さんはイタリア軍人側(客席に半分背を向けて)に両手を広げて訴えるがそれを客席に向けてやるようにしてその背後に映像か何かで十字架につるされたキリストもしくは十字架を一瞬見せたらどうだろうか。キムちゃんは気がつかなくてもはまこさんやオーストリア軍人は気がつくようにすれば神の意思が見えたということで変心したと視覚で客も納得できるだろう。はまこさんの役が神の教えを重んじることはそれまでの会話で出てきているのだからそれで十分納得できるだろう。台詞だけでなく舞台をすべて使って客を理解させることが演出だろうと思う。
この2点を変えるだけでも結構印象は変わると思う。東京公演の前に手直ししてみたらいいのにと帰りの電車の中でリフレインする主題歌を思い返しながら考えていた。
それが今回の雪組公演『ソルフェリーノの夜明け』を見た最初の感想だった。
往復13時間以上電車に乗って土・日の2公演を大劇場で見てきた。
今回の公演は宝塚でベルばらをやった植田先生の作品だ。正直昭和丸出しの演出家でこれまでいくつか見てきたが面白かったと思ったことのない先生だったのでまるで期待はしていなかった。青春18切符が使える期間でやっている公演だったのでチケットを取ってみただけだった。(ハマコさんとゆみこさんのラスト公演を見たかったのが一番の理由だが・・・)
ベルばらの原作ファンとしてはあのぶっ飛んだ世界をベルばらと言った感覚は全く理解できない。しかしこれまではベルばらを大衆演劇だとは思ったことはなかった。しかし今回考えを改めることになった。なにしろ題材こそ違え見せ方はまるきり同じだったからだ。
演出を呼べるものはたぶん殆ど無い。ただひたすら台詞で説明し話を進めていく芝居だ。セリも盆も・・・その他大劇場の機能は幕以外殆ど使われない。書き割り背景に設置したら動かないセット、舞台とカーテン前と銀橋を交互に使っていくだけだ。
登場人物が話す以外の情報は全く無いといっていい。しゃべる時はひたすらしゃべる、台詞のない時間は殆ど無いため真剣に聞いていると時々意識が遠ざかる。(長時間電車に乗った疲れもあると思うが・・・)
ただしベテランだけ合って泣かせるところは妙に泣かせる。何回かそう言う部分があるのだが眠り掛けていた意識が急速に引きつけられるのは(演者の熱演もあるが)なかなかといわざるを得ない。
後はひたすら主題歌を繰り返す。何回歌ったかわからなくなるくらい聞くので2公演見ると歌詞を含めて完璧に覚えてしまうという…なんというか妙な植田マジックに落とされてしまう。
結局面白かったかどうか自分が気に入ったかはともかく芝居を見たという気にさせてしまうあたりが大衆演劇とよく似ている。
今回に限ってはベルばらのように不愉快に感じるシーンがない分だけ結構ましかなと思う。何しろ主人公に恋愛場面がないのでストーリーに破綻が生じない(植田先生の場合主人公に恋愛場面があると人格がおかしくなる)ので順調に進んでいくのだ。
ただこれから東京公演に行くにあたり多少手直しをするべきだと思う。脚本はたぶん変えられないと思うので演出をちょっと手直ししたらもう少しお客も納得できるのではと思うのだ。
一つ目は最初のショーの部分のみなこちゃん登場場面。トップ娘役の最初の登場が下手中段の幕から走ってだったときには「しょぼっ!」と正直笑ってしまった。
あの場面前列真ん中にいる水さんと花かごセットの間に空間があるのでその間からセリ上がりすればいいと思う。どこから現れたかわからないような人影からではなくきれいなトップ娘役がきれいな衣装でセリ上がってきたら「わぁーきれい~」となるのではないだろうか?
二つ目は最後のはまこさんの心変わりの場面の理由付けの弱さである。主人公が「自分を撃て!」といって心変わりするような人物ではないことはオーストリア将軍の場面でわかっている。最後の場面はまこさんは高い位置にいるので2階席からは表情もよく見えない。キムちゃんがまったく変わらないのにはまこさんが心変わりするのは正直納得できなかった。
だからあの場面水さんはイタリア軍人側(客席に半分背を向けて)に両手を広げて訴えるがそれを客席に向けてやるようにしてその背後に映像か何かで十字架につるされたキリストもしくは十字架を一瞬見せたらどうだろうか。キムちゃんは気がつかなくてもはまこさんやオーストリア軍人は気がつくようにすれば神の意思が見えたということで変心したと視覚で客も納得できるだろう。はまこさんの役が神の教えを重んじることはそれまでの会話で出てきているのだからそれで十分納得できるだろう。台詞だけでなく舞台をすべて使って客を理解させることが演出だろうと思う。
この2点を変えるだけでも結構印象は変わると思う。東京公演の前に手直ししてみたらいいのにと帰りの電車の中でリフレインする主題歌を思い返しながら考えていた。
コメント
コメントを返す気がないならコメ欄を閉じるか相互のみにするかしたらどうでしょう?
考えは人それぞれといってもこういう場所で書いてる以上、暗黙の了解ともいえる
最低限のマナーはあるのだから。
みなさん丁寧に挨拶してるのに非礼だと思います。