昔は良かったと言いたくないが・・・
2010年3月4日 雑記 コメント (2)ここ数日、動画サイトでフィギュアスケートを見ている。
切っ掛けはバンクーバーオリンピックのエキシビションだった。
私がフィギュアスケートが好きな理由の一つにエキシビションがあげられる。競技の緊張感から解放された選手達が自由の演じてくれるおまけではある。試合では見られないスケートの魅力が垣間見れるのも良い。
今回はオリンピックと言うことでエキシビションもいつも以上に面白いだろうと期待して見ていた。
ところが・・・実際の演技は期待はずれというか、はっきり言ってつまらない内容だった。
銀メダルを取ったロシアのプルシェンコ氏が早々に出てきて会場を沸かせたもののその後はどんどん盛り下がっていく。あげくにオリンピックのエキシビションなのに金メダリストにアンコールすら起こらない。最後に地元のカナダ金メダリストが登場し何とか会場も沸いたが、それでも今まで見た中で最も盛り上がらなかったエキシビションだったように思えた。
あまりにも消化不良だったため昔の映像を見て満足しようと動画サイトに行ったのだ。
ヤグディン氏、キャンデロロ氏、スルツカヤ氏、伊藤みどり氏など往年の名選手達そして今回も参加したプルシェンコ氏の数々の映像を見て楽しんだ。なんというか昨今にはない疾走感や躍動感そして華やかさを味わった。
そして動画を幾つも見ている内に「プルシェンコ氏が言っていたのはこういう事だったのかな・・・」と自分の中にすとんと落ちてきた考えがあった。
それはオリンピック中に氏が言った「男子であれば4回転に挑戦するべき」と言うものだ。
新聞などではプルシェンコ氏がジャンプが得意なので言ったように報道された。終了後に新たに「採点システムは変更されるべきだ。五輪王者が4回転ジャンプの跳び方を知らないならば、男子シングルではなくアイスダンスに名前を変えなくてはならない」と言った時にはまるで負けたのにみっともない的に伝えたものもあった。
私には正直そこまで4回転にこだわることもないのに、と思った部分があった。
現行の難しい技をやった方が損な評価は止めるべきである。例えばダウングレードによる二重減点を止め難しい技の基礎点を上げる。更には出来映えによる加点をもっと制限するか、基礎点を上げ加点を止め技の完成度による減点方式にする。そうすれば少なくても挑戦する価値は出来る。
加速する4回転競争に怪我する選手が増え制限がかかった部分もある。どうしても飛べない選手もいるしそれで良いのでは・・・と私は単純に思っていた。
しかしながらバンクーバーオリンピックのエキシビションを見てそして昔のフィギュアの映像を見て、プルシェンコ氏が言いたかったのは別に4回転のことではないのでは?と思ったのだ。
エキシビションというのはおまけであるので競技でやるような高難度の技はあまりない。競技で無いのに怪我をするような危険は犯さないのは当然である。
しかし一方でおまけであるからこそ出来ることがある。例えば昔フランスにボナリ―氏という選手がいたがこの人はよくバックフリップを見せていた。これは競技では禁止されているのでエキシビションならではの楽しみだった。
ロロ氏も試合では出来ないスピンをやっていたし他にも普段あり得ない組み合わせの競演などがあった。
さて今回のエキシビションでプルシェンコ氏はなんと3Aを2度も飛んでいた。氏はもともとエキシビションを沸かせることの上手い人である。色んな格好をしてでてきて驚かせたり突然(着ぐるみを着ているが)脱ぎ出したり・・・今回のエキシビションでも3Aでそして試合ではレベル1になってしまう高速ステップなどを見せ最もその演技で会場を盛り上げた。
一方他の人達はなんというか試合の延長のような演技が多かった。試合でやる技を少しランクを落として演じている・・・そう言う印象がぬぐえない。エキシビションならではと言うものはあまり無かった。
プルシェンコ氏がわざわざ3Aを2回飛んだのは意味があると思う。3Aは決して簡単な技ではない。ランビエ―ル氏はどうしても今期上手く降りられずプログラムから外してしまったし、実際の試合でもこれをミスする選手が何人もいた。その位のレベルの技だ。
それでも氏はエキシビションで2回もとんだ。自分は飛べるという自信があるからだろう。それも確実に決めるではなく絶対に降りるという意志によって。
オリンピック前に「4回転を跳ばなくてもプルシェンコに勝てる」と豪語した選手がいた。4回転に試合で挑戦したことのない選手だった。
しかしその選手は結局試合で一度も3Aをまともに飛ぶことが出来ず自滅した。もちろんエキシビションに飛べようはずが無い。
しかしプルシェンコ氏は試合で決め銀メダルを獲得しエキシビションでも決めた。この差はどこにあるのだろう?
今のルールでは技のレベルによって点数を獲得する。点数を取りやすい似たような技ばかりどの選手もするようになる。また内容を詰め込んでも減点の口実を増やすだけなので極力そう言ったものを減らす傾向にある。
その究極がキム・ヨナ選手のプログラムである。所々で休憩を入れ動き出しのスピードの印象をつける。技と技の間にあまりつなぎを入れないスカスカのプログラムにして減点を減らしまた体力の減少も防ぐ。省エネプログラムだ。
そうなるとやらなければならない技は上手くなる(それでもキム選手は2シーズン位前の方がスパイラル等上手く見える)がそれだけだ。
エキシビションで自由に滑っても良いよと言われても試合でやっている内容以上のものを作り出せない。それは多かれ少なかれ他の選手にも言えると思う。
かつてもっと高度な技をとか自分なりの見せ方をと追求していた頃はもっと自由な魅力があった。仮に試合で使えなくてもエキシビションで自分の魅力を伝えるのに有効であった。この選手ならではの楽しみ方と言うものがあったと思う。
だからこそ技術の追求が実は芸術性も高めることになっていたと思う。
4回転発言をしたプルシェンコ氏について日本のあるアナウンサーが「プルシェンコはジャンプだけの選手。芸術性が足りない」と言った。プルシェンコ氏のかつて芸術点満点を取った演技を知らないのかそれともブランクがあるため現行の採点システムには合わないと思ったのかそれはわからない。
とにかくもジャンプの選手と思われているかもしれないがプルシェンコ氏こそかつて芸術性の選手と言われた人なのだ。その芸術性を表現するのに必要だったのが卓越した技術だ。そしてその技術があるからこそブランクがあり採点方式の変更があってもそれに対応しメダルを獲得することが出来、また幅広いエンター性をエキシビションで表現できるのだ。
プルシェンコ氏の最盛期は2001年~2003年位だと思う。つまりトリノで金を取った時も今回のバンクーバーもピークが過ぎているわけだ。(しかもどちらも体調不良、トリノは食中毒だったし…)それでもメダルを取れるトップ選手である。
最盛期の氏は4-3-3を飛んでいるし、練習で3Lo-3Lo-3Loを飛んでいる動画を見たことがある。怪我の影響で当時やっていた幾つかはできなくなっているが元々できることが多い分今なおその地位を保っている。だからこそエキシビションで2回3Aを飛ぶなんてことができる。だから先ほどの「プルシェンコをを倒せる」と言った選手のプログラムをただなぞるだけならたぶん氏には不可能でないだろう。
しかしその選手が最盛期の氏のプログラムをなぞることは不可能だ。そもそも4回転が飛べないしそれを抜きにしても音楽の1音1音すべてを表現したかのようなステップも女子選手並みのビールマンスピンも曲の最初から最後まで高速にすべり難度の高いジャンプを飛び続ける…現行ではほとんど点数にならないことであるためやってみようとも思わなかっただろう。やらない以上決してできることはない。
氏はできることが多くあるので現行のルールのあわせ「やらない」選択ができる。しかし今の選手の多くは点数がもらえることしかやらないしできない。限られた中でやるしかない。やらないのではなく「やれない」のだ。
「やらない」と「やれない」はそもそも時限の違う話だ。「やらない」人はルールの無いところではもっと違うことができるが「やれない」人はやれる範囲でやるしかない。だからエキシビションが試合の二番煎じみたいなものばかりになってしまう。代わり映えの無いものばかり見せられれば飽きたりつまらなくなったりする。
より幅広い表現、その人ならではの演技、そしてフィギュアスケートの発展、それには現行の出来る技をただ正確にすべるだけでは足りないとプルシェンコ氏は思ったのだろう。出来る技術が少なくてより発展することが出来るのか?高見を目指さずにその向こうの世界を見ることは出来ない。そう言う意味で「4回転は必要」と言ったのではないだろうか?
実際、欧州ではフィギュア離れが進んでいる。観客数は減っているし新しい話題の選手もなかなか出てこない。日本がオリンピックシングル種目で全員入賞という快挙をなせたのもそう言う背景がある。
10年前の演技と最近の演技、どちらが面白いかと言われれば私は残念ながら前の方を選んでしまう。ヤグディン(昔はヤグージンって言ってた気がする・・・)氏とプルシェンコ氏が競っていた頃のフィギュアがとても魅力的に感じる。画像も荒いし音も良くない、それでも魅力を感じずにいられない何かがある。
機会があったら一度ネットの動画でも良いので見てみるのも良いかもしれない。見てみれば・・・私が感じた何かを理解して貰えるかもしれない。
切っ掛けはバンクーバーオリンピックのエキシビションだった。
私がフィギュアスケートが好きな理由の一つにエキシビションがあげられる。競技の緊張感から解放された選手達が自由の演じてくれるおまけではある。試合では見られないスケートの魅力が垣間見れるのも良い。
今回はオリンピックと言うことでエキシビションもいつも以上に面白いだろうと期待して見ていた。
ところが・・・実際の演技は期待はずれというか、はっきり言ってつまらない内容だった。
銀メダルを取ったロシアのプルシェンコ氏が早々に出てきて会場を沸かせたもののその後はどんどん盛り下がっていく。あげくにオリンピックのエキシビションなのに金メダリストにアンコールすら起こらない。最後に地元のカナダ金メダリストが登場し何とか会場も沸いたが、それでも今まで見た中で最も盛り上がらなかったエキシビションだったように思えた。
あまりにも消化不良だったため昔の映像を見て満足しようと動画サイトに行ったのだ。
ヤグディン氏、キャンデロロ氏、スルツカヤ氏、伊藤みどり氏など往年の名選手達そして今回も参加したプルシェンコ氏の数々の映像を見て楽しんだ。なんというか昨今にはない疾走感や躍動感そして華やかさを味わった。
そして動画を幾つも見ている内に「プルシェンコ氏が言っていたのはこういう事だったのかな・・・」と自分の中にすとんと落ちてきた考えがあった。
それはオリンピック中に氏が言った「男子であれば4回転に挑戦するべき」と言うものだ。
新聞などではプルシェンコ氏がジャンプが得意なので言ったように報道された。終了後に新たに「採点システムは変更されるべきだ。五輪王者が4回転ジャンプの跳び方を知らないならば、男子シングルではなくアイスダンスに名前を変えなくてはならない」と言った時にはまるで負けたのにみっともない的に伝えたものもあった。
私には正直そこまで4回転にこだわることもないのに、と思った部分があった。
現行の難しい技をやった方が損な評価は止めるべきである。例えばダウングレードによる二重減点を止め難しい技の基礎点を上げる。更には出来映えによる加点をもっと制限するか、基礎点を上げ加点を止め技の完成度による減点方式にする。そうすれば少なくても挑戦する価値は出来る。
加速する4回転競争に怪我する選手が増え制限がかかった部分もある。どうしても飛べない選手もいるしそれで良いのでは・・・と私は単純に思っていた。
しかしながらバンクーバーオリンピックのエキシビションを見てそして昔のフィギュアの映像を見て、プルシェンコ氏が言いたかったのは別に4回転のことではないのでは?と思ったのだ。
エキシビションというのはおまけであるので競技でやるような高難度の技はあまりない。競技で無いのに怪我をするような危険は犯さないのは当然である。
しかし一方でおまけであるからこそ出来ることがある。例えば昔フランスにボナリ―氏という選手がいたがこの人はよくバックフリップを見せていた。これは競技では禁止されているのでエキシビションならではの楽しみだった。
ロロ氏も試合では出来ないスピンをやっていたし他にも普段あり得ない組み合わせの競演などがあった。
さて今回のエキシビションでプルシェンコ氏はなんと3Aを2度も飛んでいた。氏はもともとエキシビションを沸かせることの上手い人である。色んな格好をしてでてきて驚かせたり突然(着ぐるみを着ているが)脱ぎ出したり・・・今回のエキシビションでも3Aでそして試合ではレベル1になってしまう高速ステップなどを見せ最もその演技で会場を盛り上げた。
一方他の人達はなんというか試合の延長のような演技が多かった。試合でやる技を少しランクを落として演じている・・・そう言う印象がぬぐえない。エキシビションならではと言うものはあまり無かった。
プルシェンコ氏がわざわざ3Aを2回飛んだのは意味があると思う。3Aは決して簡単な技ではない。ランビエ―ル氏はどうしても今期上手く降りられずプログラムから外してしまったし、実際の試合でもこれをミスする選手が何人もいた。その位のレベルの技だ。
それでも氏はエキシビションで2回もとんだ。自分は飛べるという自信があるからだろう。それも確実に決めるではなく絶対に降りるという意志によって。
オリンピック前に「4回転を跳ばなくてもプルシェンコに勝てる」と豪語した選手がいた。4回転に試合で挑戦したことのない選手だった。
しかしその選手は結局試合で一度も3Aをまともに飛ぶことが出来ず自滅した。もちろんエキシビションに飛べようはずが無い。
しかしプルシェンコ氏は試合で決め銀メダルを獲得しエキシビションでも決めた。この差はどこにあるのだろう?
今のルールでは技のレベルによって点数を獲得する。点数を取りやすい似たような技ばかりどの選手もするようになる。また内容を詰め込んでも減点の口実を増やすだけなので極力そう言ったものを減らす傾向にある。
その究極がキム・ヨナ選手のプログラムである。所々で休憩を入れ動き出しのスピードの印象をつける。技と技の間にあまりつなぎを入れないスカスカのプログラムにして減点を減らしまた体力の減少も防ぐ。省エネプログラムだ。
そうなるとやらなければならない技は上手くなる(それでもキム選手は2シーズン位前の方がスパイラル等上手く見える)がそれだけだ。
エキシビションで自由に滑っても良いよと言われても試合でやっている内容以上のものを作り出せない。それは多かれ少なかれ他の選手にも言えると思う。
かつてもっと高度な技をとか自分なりの見せ方をと追求していた頃はもっと自由な魅力があった。仮に試合で使えなくてもエキシビションで自分の魅力を伝えるのに有効であった。この選手ならではの楽しみ方と言うものがあったと思う。
だからこそ技術の追求が実は芸術性も高めることになっていたと思う。
4回転発言をしたプルシェンコ氏について日本のあるアナウンサーが「プルシェンコはジャンプだけの選手。芸術性が足りない」と言った。プルシェンコ氏のかつて芸術点満点を取った演技を知らないのかそれともブランクがあるため現行の採点システムには合わないと思ったのかそれはわからない。
とにかくもジャンプの選手と思われているかもしれないがプルシェンコ氏こそかつて芸術性の選手と言われた人なのだ。その芸術性を表現するのに必要だったのが卓越した技術だ。そしてその技術があるからこそブランクがあり採点方式の変更があってもそれに対応しメダルを獲得することが出来、また幅広いエンター性をエキシビションで表現できるのだ。
プルシェンコ氏の最盛期は2001年~2003年位だと思う。つまりトリノで金を取った時も今回のバンクーバーもピークが過ぎているわけだ。(しかもどちらも体調不良、トリノは食中毒だったし…)それでもメダルを取れるトップ選手である。
最盛期の氏は4-3-3を飛んでいるし、練習で3Lo-3Lo-3Loを飛んでいる動画を見たことがある。怪我の影響で当時やっていた幾つかはできなくなっているが元々できることが多い分今なおその地位を保っている。だからこそエキシビションで2回3Aを飛ぶなんてことができる。だから先ほどの「プルシェンコをを倒せる」と言った選手のプログラムをただなぞるだけならたぶん氏には不可能でないだろう。
しかしその選手が最盛期の氏のプログラムをなぞることは不可能だ。そもそも4回転が飛べないしそれを抜きにしても音楽の1音1音すべてを表現したかのようなステップも女子選手並みのビールマンスピンも曲の最初から最後まで高速にすべり難度の高いジャンプを飛び続ける…現行ではほとんど点数にならないことであるためやってみようとも思わなかっただろう。やらない以上決してできることはない。
氏はできることが多くあるので現行のルールのあわせ「やらない」選択ができる。しかし今の選手の多くは点数がもらえることしかやらないしできない。限られた中でやるしかない。やらないのではなく「やれない」のだ。
「やらない」と「やれない」はそもそも時限の違う話だ。「やらない」人はルールの無いところではもっと違うことができるが「やれない」人はやれる範囲でやるしかない。だからエキシビションが試合の二番煎じみたいなものばかりになってしまう。代わり映えの無いものばかり見せられれば飽きたりつまらなくなったりする。
より幅広い表現、その人ならではの演技、そしてフィギュアスケートの発展、それには現行の出来る技をただ正確にすべるだけでは足りないとプルシェンコ氏は思ったのだろう。出来る技術が少なくてより発展することが出来るのか?高見を目指さずにその向こうの世界を見ることは出来ない。そう言う意味で「4回転は必要」と言ったのではないだろうか?
実際、欧州ではフィギュア離れが進んでいる。観客数は減っているし新しい話題の選手もなかなか出てこない。日本がオリンピックシングル種目で全員入賞という快挙をなせたのもそう言う背景がある。
10年前の演技と最近の演技、どちらが面白いかと言われれば私は残念ながら前の方を選んでしまう。ヤグディン(昔はヤグージンって言ってた気がする・・・)氏とプルシェンコ氏が競っていた頃のフィギュアがとても魅力的に感じる。画像も荒いし音も良くない、それでも魅力を感じずにいられない何かがある。
機会があったら一度ネットの動画でも良いので見てみるのも良いかもしれない。見てみれば・・・私が感じた何かを理解して貰えるかもしれない。
コメント
フィギュアスケートに関する日記を読ませていただきました。
私もフィギュアファンですが共感する内容が多く、勝手にリンクさせていただきました。
ファンというのもおこがましい、ジャンプの違いなどわからない、テレビでやってればば見る程度のものです。今日久しぶりにフィギュアスケート男子見ました(BSで、ロステレコムでしたかね。)。正直つまらなかったです。
学生時の貧乏生活と夜勤が重なり2回の五輪をスルーした後、久しぶりのバンクーバーであれっておもったのですが、やっぱりそうだったんだと再確認しました。なんていうか個性がないんですよね。がちがちなルールがそういう方向に向かわせているみたいだし、その上採点があいまいでよくわからない。もう全部印象できめたほうが面白くていいんじゃないかと思いました。6.0の時代金と銀くらいは見る人によりあいまいなとこあったと思いますが、どう考えても5位くらいの人が1位になるっていうのはなかった。
大人になったら見に行こうと思っていましたがチケット結構高いし、この様子だと実際見に行くことはないでしょう。もしかしたらファンになっていたかも知れないけど残念です。こういう人、結構いると思います。