夢を見るのは

2010年1月31日 雑記
昔ある少女漫画でこんな風な台詞があった。
『夢を見るのは目覚めた時に良かったと思うためだ。良い夢の時は良い夢で良かったと思い、悪い時は夢で良かったと思うのだ』
今手元にないので細かな文言は違うと思うがだいたいこんな内容だったと思う。

昨年末には夢を殆ど見なかったのだが、最近はまたよく見るようになった。それも大抵は「なんでこんな夢を見たんだ?」と首を傾げたくなる内容ばかりだ。

子供の頃人から夢に見ることは自分の心の中で望んでいることだと言われ、とてもそんなゆめゆめしいものでなかったため自分はこんな事を願っているのかとひどく悩んだ時期もあった。
毎晩毎晩同じ夢を見続けていた頃人にそれを話したらきっとそれはあなたの前世だよと言われ、結末が悲劇的だったことから今世も思いやられると嘆いたこともあった。

私の母はよく夢を見る人で朝起きると見た夢の話を良くしてくれる。しかし彼女は自分の好きな芸能人と会ったりなどそれこそ『良い夢を見れて良かった』と思う内容ばかりだ。
それに比べ私の夢はいつも首をひねりたくなるものばかりだ。
悪いと言うほどでもないが何より後から思い返して、『どうしてこんな夢を見たの?』というものばかりなのだ。

例えば全く知らない場所で全く知らない人達が私の知らない話を延々と討論していたり、警察官がなんの事件かわからないが誰かを追いかけるのをずっと横から見ていたり、1週ほど前には何故か福○雅治氏と見合いをしたのか周囲で結納を交わすことになっていやそれはまずいだろうと一人焦っている夢だった。(私は別に福○氏のファンではない)
そのいずれの夢も起きた時ひどく疲れを感じて朝からこれは無いだろうとため息を吐きたくなるのだ。

そして今日見たのは私が近所の川縁を歩いていると突然地面が揺れあちこちが地割れする、みんなは大地震だ富士山爆発だと騒ぐけど私は一人違う何が爆弾のようなものが落ちてきたんだと言って回っているのだ。
おまけに大地震のようなことがあっても誰もけが人や死者がいないのは良い(ついでに割れるのは地面だけで建物は無事)が頭の上から何かが近づいてわぁ~当たる~と思いながら(恐怖は感じていない)自分がどこもけがをしていないことを何も疑問に思わないのは何故なんだろうとどこかで私が冷静に考えていたりするのだ。
地震だ爆弾だと騒ぐ私とそれを第三者的に見てそうじゃないだろうと突っ込む私を私が夢で見ているわけでなんというか眠っているのに余計に動いていますといわんばかりに疲労していくのだ。最後はたぶん頭がさえてきたのかこのまま起きないと余計に疲れると目を覚ますことにしたくらいだからよほどである。せっかく日曜日でゆっくり休もうと思っていたのにとんでもない睡眠になってしまった。

私は母が見るようななんか今日良い夢見たよと言うものは殆ど無い。
断続的に色んな夢を見て(渡って?)、起きた時内容も思い出せないけどなんか疲れたなということが殆どだ。
そして時々今日みたいに一つの事象に対して延々と世界が展開していく長編ムービーみたいな非常に疲れる夢を見る。
正直私の中では「夢を見る=疲れる」に等しい。

学生の頃夢判断のようなことが流行り見てもらったらと言われたこともあるが、ポジティブというか起きた時良い夢と感じるものをを見ない以上良いことを言ってもらえるとは思えず一度もそういうことはしなかった。そのうち良い夢を見ることもあるだろうとその頃は思っていたのかもしれない。そして今に至ってしまっている。

これは悪い夢だと感じるものも殆ど無い。夢で良かったなとも思ったことは無いに等しいと思う。
そう言う意味では私の夢は冒頭にコミックの定義には当てはまらない。良かったと思うための夢ではないらしい。
私の夢は見て良い夢でもなく夢で良かったと思う程でもない。だけど「なんでこんな夢を見たんだろう」これからもそう感じる夢をずっと見続けていくのだろうか?そう思うと夢なんか見ない方が良いと思わずにはいられない。

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