私が宝塚歌劇団という存在を知ったのは中学生の頃だ。
NHKで放映されていた公演をたまたま見たのが初めだった。もちろんその時はそこに映っている人が全て女性だとは知らなかった。そういう専門的な知識はもっとずっと後になってから知っていく。

初めて生で舞台を見たのは2001年のことだ。たまたまベルサイユのばらが公演され原作ファンだったので見に行った。・・・・・・なんというか原作ファンには許し難い全くベルサイユのばらとは関係ない内容だった。
それでも何となく宝塚というものが好きな人がいることは理解できた。それでその後舞台を見にいくようになった。

ただ・・・・・・舞台ものを見ることが好きな程度の人間には宝塚は理解できない部分が多くある世界だ。それをそう言うものだと思えれば良いのだろうがそこまで「宝塚歌劇」にブランド感を抱けない人間には理不尽だと感じてしまうことがよくある。
そんなわけで3年ほど過去にも全く公演を見ない時期がある。チケットが取れないせいもあったが無理しても行きたいと思えなくなっていたことが大きかった。

たまたま水夏希さんがトップになると言うことを知り、この方が見ていた宝塚舞台の中では一番好きだったのでせっかくだから見ようと思いここ数年また通うようになった。
ただ以前のようにオークションなどまで駆使しても見ると言うことはしない。あくまで友の会で取れたら行く程度だ。宝塚のディープな世界につからない程度に見てきた。

その間にも色々なことがあった。不思議なことに宝塚でのニュースの場合あまり良い印象の話題は少ない。何故なのか理解できないと思うことが多い。
宝塚歌劇はその構成自体が金持ちの道楽のような部分があるらしいので一般庶民の常識でははかれないものなのかもしれない。ある程度はそれで傍観できるが許容を超えたらただ不快になるだけだ。様々に聞こえ来る理解できない発表にまた宝塚から引き時なのかな・・・と思い始めていた。

そして裁判沙汰に96期のブログの不祥事だ。これは正直一般常識として許し難いあるいは納得できない内容である。
裁判は一方的に音楽学校を退学させられた女性が起こしたものだ。万引きをしたと言うことでの退学ということらしい。万引きで退学が妥当かは今は問わない。
問題は万引きしたとされた女性がその行為を否認し被害にあったとされた店に確認を取って欲しいと訴えたことに対し確認をすることなく処分を下した、という点だ。これは学校法人として妥当な行為なのだろうか?音楽学校は各種教育なので通常の高校・大学などとは認識が多少違うかもしれない。しかしまだ10代の少女を預かる教育機関として一方的な主張を貫くことは正しい教育行為とは言えないはずだ。
そもそも万引きはその行為が行われた時に糾弾される罪だ。店側が被害を訴えたわけでもない警察も介入していない当然事件にもなっていない事象に学校側が退学を宣言できるのだろうか?
しかもその処分を不当とし女性側が裁判所から処分取り消しの仮処分を受けたのに学校側は2度もそれを無視している。
こんな学校に私なら子供を預けたいとは思えない。ありもしない犯罪の烙印を押され退学を言う懲罰を受ける可能性を否定できない。
学校側からの退学は自主退学と違い履歴書に記載する義務がある。女性はこのままであれば一生この罪状を背負うことになる。これが事実であれば仕方ないがもし無実であれば問題などというものではない。それ故今裁判が行われているわけだ。

96期生のブログは個人のものなのであえてここでは触れない。ただ宝塚歌劇団が掲げる「清く正しく美しく」という理念とは相容れない内容であった、というだけだ。
退学させられた女性に対する処分には音楽学校はこの「清く正しく美しく」に則って行ったと発表している。(この発表文は処分された女性に名誉毀損と言われても否定できない書き方をされている。この文章の書き方からしてもとても学校法人を名乗るのにふさわしいとは思えない)
「清く正しく美しく」という理念は抽象的である。それ故どの行為が駄目でどの程度は許されるというのはあくまで劇団・音楽学校の決める範疇かもしれない。
ブログ内容は処分対象でないのかもしれない。しかし一観劇人として言わせて貰えればあれをネット上に掲載を見逃した音楽学校や劇団はお客に対して落ち度であったと謝罪すべきであると思う。それくらい「清く正しく美しく」の理念を否定する内容であった。
しかし残念ながらそう言う行為は今なお行われない。たぶんこの先もないだろうと思う。そういう世界だと経験上私は予測できる時間を過ごしてきた。劇団に都合の悪そうなことは決して公式にはしないそう言う部分が私をディープな塚ファンにしないで来たからだ。

もう潮時だな・・・と思ってきた。友の会の期限が夏頃まであるので次は更新しないだろうと。
そして15日、劇団から新たな発表があった。雪組2番手のゆみこさんの退団発表だ。
水さんがトップになってからずっと2番手として支えてきたゆみこさん。水さんの後はきっとこの人がトップだろうと信じていた。華はないが歌も上手くダンスも出来る、芝居も安定している実力派だ。きっと堅実に組を導いていけると疑わなかった。
しかしそれでも退団である。宝塚歌劇で2番手での退団は殆ど無い。ゆみこさんの前は20年ほど遡らなければならないと言うほど起こらない事象なのだ。その位2番手はトップに近い立場なのだ。2番手にしたからにはトップに、そうでなければ2番手にはしないそれが宝塚だった。
3番手のキムちゃんに強力スポンサーが付いていることが大きいのだろう、それはわかる。しかしそうであるならもっとやり方があったはずだ。少なくとも組替えなどでポジションをずらすことは今まで劇団でよくやってきた。

宝塚を見ていて時々「劇団の愛」という言葉を耳にする。この「愛」がある生徒は優遇される。そしてその「愛」はあまり奇麗な印象がない。

「学校」の先にある「劇団」、それが宝塚歌劇団である。しかし音楽学校は決して生徒全てに温かくない存在であることが裁判沙汰で明るみになった。そしてその先にある歌劇団は・・・生徒と呼ぶ劇団員を切り捨てるような使い方をしてきた過去が確かにある。「愛」のある生徒と無い生徒・・・「清く正しく美しく」を実践しているとは思えない行為である。

伝統はただ時間の流れで作れるものではない。それを支え認めてくれる存在があればこそだ。建前でも理念を支えていければいいが自らそれに反していけば皆の信頼も薄れていく。その先にあるのは崩壊でしかない。
特に今は不景気だ。不景気で真っ先に切られるのは娯楽費である。劇団が伝統に胡座をかいているならそれはもう価値はない。今は数十年前の娯楽が限られた世の中じゃない。代わりはいくらでもある。

舞台の裏側を感じさせないことが宝塚歌劇の魅力だと思ってきた。だから今はただ残念だという気持でいっぱいである。

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