二月ぶりにさわやかウォーキングに参加した。行き先は身延山。身延線に乗るのは大学卒業以来なので10年以上ぶりとなった。
今日は身延駅から身延山の折り返しコース。運送便の少なさを考えてか11kmとちょっと短めだ。
父がこのコースに行くと言った時は少し驚いた。というのは父は階段とか登り坂に滅法弱いからだ。山道コースはまず行きたがらない。
だが今回はそれほど急な坂はないと言うことと何度も久遠寺の前を通った経験はあるのに一度も中を見たことがなかったという事もあって参加することとなった。
とはいえ天気予報は2日前まで雨で一度は中止も考えていた。しかし昨日には雨は夕方という予報に変わったため朝7時前に家を出た。
思ったより良い季候だった。少し肌寒いが風も穏やかで歩き出すと日も射して暖かくなった。参拝道は聞いていたとおり坂と言ってもそれほど急ではなく順調に久遠寺の三門を潜った。
その先にあるのが280段の大階段だ。下から見上げてもかなりの急勾配である。父がここは避けるかと思ったのだが意外に登ると言い出したので皆で登ることになった。
しかしこれが思った以上にきつい作業だった。1段1段がかなり高い上に平坦ではない。そして急勾配だ。登るうちに心臓がばくばく足は乳酸が貯まって重くなる。所々の階段の切れ目に手すりに寄りかかってゼイゼイと息を切らすこととなった。
傍らでは高校生の男の子達が部活動の一環で勢いよく駆け上り駆け下りてゆく。すでに高校卒業から2倍の年月が経とうとする人間とは大違いの体力であるとしみじみと実感した。
それでも何とか登り切り久遠寺とその先のロープーウェイ・奥の院まで見て回った。高さが上がるたびに冷え込み山に冬が来ていることを感じさせる。紅葉もとても奇麗だった。
そして帰りである。母は階段を下りると言ったが私にはどうしてもそれが出来なかった。私は高いビルなどから下を見るのは好きだが急な階段を上から見下ろすのは駄目だ。気分が悪くなる。同時に急な階段で立ち止まるのも出来ない。一度新年参りで階段の最上段辺りで留め置かれた時立ちくらみを起こした事がある。勢いよく急な階段を上ることは出来るが降りることは出来ない。
そのため私は回り道で降りることにした。所々木の棒で段が作ってあるだけの舗装されていない道だ。緩やかであるが石が多く滑りやすそうだった。その為もあって同じ道を選んだ父よりもずっと遅いスピードで降りることになった。どうしてもいつものようにするすると歩くことが出来ない。
降りながら何故これほどに手こずるだろう、と考えていた。下に目がくらむわけでない緩やかな坂道にすぎないのに。登ることには抵抗ないのに下るとなったら尻込みしているようで情けない感じがしたのだ。
だが降りながらふと思いついた。
私は下りることではなく転がり落ちる事が嫌なのだと。落ちて地面に叩きつけられたら一瞬で死ねるだろうが転がり落ちる事はそうはいかない。結果的に死ねればまだ良いだろうがそうでなければ苦しみは長く続くことになる。終わる見込みのない苦しみというのは生きていると言うことだけで十分だ。
そして同時に感じた。もしかしたら私もまた人生の下り坂に入ったのではないかと。最近になって色々新しいことをやり出した。勉強したり体調や体力向上を目指したり今までやったことのないことをやり出したり・・・取り立ててそのことに意味があるとは思ってこなかったが、今日坂道をゆるゆると下りながらふと考えた。これは無意識にそのことを感じたため恐怖を抱きそれを食い止めようとした防御行為ではないかと。
子供の頃に生物としての人間の寿命は30年程度だという内容の本を読んだことがある。もちろん医療行為や食べ物などの社会発展で80年もの寿命を今は持っている。しかしそれは野生の生物の寿命と同様に語ることは出来ないものであろう。
人間の寿命が30年ほどだと言われればそうかもしれないと思うことは多々ある。体型が変わり病気も持つことも多くなる。白髪など肉体の衰えが顕著になる。通常の野生動物であればそうなれば長く生き続けることはまず出来ないはずだ。
アラフォーの私はすでに人生の中で生物の寿命という上り坂を登り切った頃である。下り始めたことを知らずに実感しそれを転がり落ちるようにならないよう自己防衛に走っても不思議ではない。
人生の下り坂に入ったと言ってもそれほど悲観することはない。今は生きようと思えばいくらでも生きられる時代だ。そして生きている以上生き続けることは社会に生きる人として最低の行為である。
私が嫌う転落の苦悩をなるべく軽くするためにこれからも努力しなければ行けないだろうとゆるゆると坂道を下りながら考えていた。
今日は身延駅から身延山の折り返しコース。運送便の少なさを考えてか11kmとちょっと短めだ。
父がこのコースに行くと言った時は少し驚いた。というのは父は階段とか登り坂に滅法弱いからだ。山道コースはまず行きたがらない。
だが今回はそれほど急な坂はないと言うことと何度も久遠寺の前を通った経験はあるのに一度も中を見たことがなかったという事もあって参加することとなった。
とはいえ天気予報は2日前まで雨で一度は中止も考えていた。しかし昨日には雨は夕方という予報に変わったため朝7時前に家を出た。
思ったより良い季候だった。少し肌寒いが風も穏やかで歩き出すと日も射して暖かくなった。参拝道は聞いていたとおり坂と言ってもそれほど急ではなく順調に久遠寺の三門を潜った。
その先にあるのが280段の大階段だ。下から見上げてもかなりの急勾配である。父がここは避けるかと思ったのだが意外に登ると言い出したので皆で登ることになった。
しかしこれが思った以上にきつい作業だった。1段1段がかなり高い上に平坦ではない。そして急勾配だ。登るうちに心臓がばくばく足は乳酸が貯まって重くなる。所々の階段の切れ目に手すりに寄りかかってゼイゼイと息を切らすこととなった。
傍らでは高校生の男の子達が部活動の一環で勢いよく駆け上り駆け下りてゆく。すでに高校卒業から2倍の年月が経とうとする人間とは大違いの体力であるとしみじみと実感した。
それでも何とか登り切り久遠寺とその先のロープーウェイ・奥の院まで見て回った。高さが上がるたびに冷え込み山に冬が来ていることを感じさせる。紅葉もとても奇麗だった。
そして帰りである。母は階段を下りると言ったが私にはどうしてもそれが出来なかった。私は高いビルなどから下を見るのは好きだが急な階段を上から見下ろすのは駄目だ。気分が悪くなる。同時に急な階段で立ち止まるのも出来ない。一度新年参りで階段の最上段辺りで留め置かれた時立ちくらみを起こした事がある。勢いよく急な階段を上ることは出来るが降りることは出来ない。
そのため私は回り道で降りることにした。所々木の棒で段が作ってあるだけの舗装されていない道だ。緩やかであるが石が多く滑りやすそうだった。その為もあって同じ道を選んだ父よりもずっと遅いスピードで降りることになった。どうしてもいつものようにするすると歩くことが出来ない。
降りながら何故これほどに手こずるだろう、と考えていた。下に目がくらむわけでない緩やかな坂道にすぎないのに。登ることには抵抗ないのに下るとなったら尻込みしているようで情けない感じがしたのだ。
だが降りながらふと思いついた。
私は下りることではなく転がり落ちる事が嫌なのだと。落ちて地面に叩きつけられたら一瞬で死ねるだろうが転がり落ちる事はそうはいかない。結果的に死ねればまだ良いだろうがそうでなければ苦しみは長く続くことになる。終わる見込みのない苦しみというのは生きていると言うことだけで十分だ。
そして同時に感じた。もしかしたら私もまた人生の下り坂に入ったのではないかと。最近になって色々新しいことをやり出した。勉強したり体調や体力向上を目指したり今までやったことのないことをやり出したり・・・取り立ててそのことに意味があるとは思ってこなかったが、今日坂道をゆるゆると下りながらふと考えた。これは無意識にそのことを感じたため恐怖を抱きそれを食い止めようとした防御行為ではないかと。
子供の頃に生物としての人間の寿命は30年程度だという内容の本を読んだことがある。もちろん医療行為や食べ物などの社会発展で80年もの寿命を今は持っている。しかしそれは野生の生物の寿命と同様に語ることは出来ないものであろう。
人間の寿命が30年ほどだと言われればそうかもしれないと思うことは多々ある。体型が変わり病気も持つことも多くなる。白髪など肉体の衰えが顕著になる。通常の野生動物であればそうなれば長く生き続けることはまず出来ないはずだ。
アラフォーの私はすでに人生の中で生物の寿命という上り坂を登り切った頃である。下り始めたことを知らずに実感しそれを転がり落ちるようにならないよう自己防衛に走っても不思議ではない。
人生の下り坂に入ったと言ってもそれほど悲観することはない。今は生きようと思えばいくらでも生きられる時代だ。そして生きている以上生き続けることは社会に生きる人として最低の行為である。
私が嫌う転落の苦悩をなるべく軽くするためにこれからも努力しなければ行けないだろうとゆるゆると坂道を下りながら考えていた。
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