その記事を知って書くか書くまいか迷っていたがやはり書くことにする。

元フォークルの加藤和彦氏が亡くなった。
たまたま私はNHKで速報が流れた時に休憩室のテレビの前にいたので早い時点でその事実を知った。まだその時にはネットでも情報が出ていなかった。ただ仕事の都合でテレビの前を横切ったので亡くなったことは知ってもどのように亡くなられたのかその時にはわからなかった。その後各新聞が記事を出すにつれそれが自殺による物だと知ることになる。

突然亡くなったことも驚いたがましてそれが自死であるということも衝撃だ。日本では自殺は珍しくない死に方ではある。だがしかし、いやだからこそまた驚いてしまうことも一方ではある。

私の年齢から見ればフォークルはもっとずっと前の世代の音楽だ。だがもちろん「帰って来たヨッパライ」は知っていたし、中学時代には合唱コンクールで「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌ったこともある。決して知らないグループではなかった。
まして私は長年ALFEEのコンサートに通っている。ALFEEは影響を受けた音楽に寛容なグループである。加藤氏の名前を聞くこともあるし氏が関わった曲を演奏することもあった。
そして近年は和幸の活動もあった。私は残念ながら一度もそのコンサートに行くことは出来なかったが決して昔の有名な歌手ではなかった人物である。

それだけにこれは大きなニュースであった。今年は川村かおりさんや忌野清志郎さんといったメンバーに縁のある方がすでに亡くなっておられる。それに加えて、と思うと何ともやりきれない思いがする。

ネットの記事にはその死を悼む方もいれば自殺、ましてホテルでのその行為に厳しい意見を述べられる方もいる。そのある意味常識的な言葉に言葉として理解することは出来る、が私には共感・賛同することはとても出来ない。

私自身自殺したことは一度もない。だが死にたいとは長年思い続けてきた。
特に中学高校時代はおそらく毎日そう思いながら生きてきたのだろう。自殺は出来ない、だが死にたい生きていたくないと毎日ぐるぐると思い続けてきた。駅のホームで誰か私の背中を押してくれないかとかあの車が突然暴走して私に突っ込んでこないだろうか・・・などそんなことばかり考えていた気がする。
そんなことを本気で願っていた私が実際に自殺してしまった人に対してそれは良くないなどとはとても言えるはずがない。
そう思わなくなった今ですら生きたいと願って生きているのかと問われればそうではないと言うしかないのだから。

生き続けていくと言うことはとても難しいことである。四捨五入すれば40というこの年数生きていてもその意味は未だにわからない。たぶんわかることはないだろうと思う。私はきっと何も残さずに死ぬのだから。

加藤氏は優れた曲を残した人物である。氏を慕う方も大勢いるだろう。少なくとも私よりずっと優れた方である。
それでもその人生の終結は思いもよらぬ形であった。残された関係者の方々の悲しみは深いだろう。それがなおさら痛ましい。

長年生きていれば死の報に出会うことは幾つもある。その度にどうやって自分は死ぬのだろうと考える。どれだけ未熟で愚かな人間であろうと死ぬことだけは他の誰と同じように出来るのだ。
出来るなら誰も傷つけない迷惑を掛けない死に方をしたいと思う。どうすればそれが出来るのかまだ予想もつかないがただ漠然とそう願っている。


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