嬉しくてちょっと悲しい出来事
2009年10月16日 雑記前の会社を辞めて来月で丸2年になる。
辞めて1週間で新しい会社に入社しさらに冬場は特に忙しい食品製造業であったため前の会社のことを懐かしむ余裕もなかった。前の会社も12月は忙しかったが食品はその比ではなかった。
それから約2年、もうあまり前の会社のことを思い出すこともなくなった。わずか2年であるがもうずっと前のことのように思えてくる。
そんな中会社の備品を購入するためエンチョーに行った折、前の会社の相談役にばったりと出会った。もう80に手が届く年齢ではあるが相変わらず品の良い陽気なご婦人だった。
相談役によれば会長もご一緒だと言うことであったが私はその後銀行に行かねばならなかったので簡単に挨拶する程度で失礼をしてきた。立ち話でおよそ3分ほどであったが、昔と変わらずこのご婦人はとても好きな方だと実感した。
私が前の会社に就職した時、相談役は副社長の立場で会長が社長であった。もしもずっとそのままであったとしたら私は今でもまだあの会社に勤めていたかもしれない。
何年勤めても下がることはあっても上がらなかった給料でもあの会社に居続けたのは当時の社長夫妻の人柄が好ましかったからだ。ご夫妻揃って人の良い品のある方々であった。
私ももう一人いた事務員もこのご夫妻がとても好きであったから当時の専務にどんなに理不尽な扱いを受けても我慢してきた。
ただすでに私がはいった頃には社長は患っておられ療養中であった。それから4年ほどして結局専務に社長交代してしまった。この人は育ちは良いようだが会長夫妻とは違い品や人望のない人だった。人望がない人が権力を持つことは周囲の人間にしてみれば不幸だ。その後社員の半数以上が辞めていくことになった。
私はおそらくその最後の方の人間だ。気がついたら平の正社員の中で私が入社前から居るのは営業と運転手が一人ずつのみになっていた。自分が社長になる前から居る社員を強制的に辞めさせていったからだ。
そうなれば次のターゲットは私だろうと辞めることにしたのだが、最後の社内の雰囲気の悪さが非常に後味を悪くした。
それから約2年して初めて前の会社の関係者にあったわけだ。
正直に言えば嬉しかった。私はかなり短期間で辞めてしまったので相談役にきちんとご挨拶できなかったからだ。ご健康を気にしていたが以前と変わりない様子で本当に安心した。
別れ際相談役に「Sさん(一緒に働いていた事務員)は時々遊びに来るのよ。たまには顔を出して」と言われた。凄く驚いた。
Sさんは私より一月ほど早く辞めさせられた人だった。3つほど年上の肝っ玉姉さんという感じのいい人だったが、社長から疎まれてひどい辞めさせられ方をした。はっきりいってそれが私の辞める理由になったのだ。
そのSさんが元の会社に顔を出している―――もちろん社長たちに会いに行っているわけではないだろう。きっと会長夫妻や後任の事務員の様子が気になるのだ。彼女は優しい人だったから。
それでも私は顔を出すのは気が引ける。会長夫妻の体調は気になっていたがどうしても行ってみようという気にはなれなかった。
行くとしたら私が休みで会社が営業している土曜日だが、あいにく今の会社では12月末まで土曜休みがないのも理由にある。
Sさんを思えば私はかなり不義理している気がする。
時が経ってあの頃の嫌な思いに今更とらわれることはないが、それでもなかなか大人らしい対応が出来ないでいることがわかり自分の了見の狭さを改めて知ることになった。
辞めて1週間で新しい会社に入社しさらに冬場は特に忙しい食品製造業であったため前の会社のことを懐かしむ余裕もなかった。前の会社も12月は忙しかったが食品はその比ではなかった。
それから約2年、もうあまり前の会社のことを思い出すこともなくなった。わずか2年であるがもうずっと前のことのように思えてくる。
そんな中会社の備品を購入するためエンチョーに行った折、前の会社の相談役にばったりと出会った。もう80に手が届く年齢ではあるが相変わらず品の良い陽気なご婦人だった。
相談役によれば会長もご一緒だと言うことであったが私はその後銀行に行かねばならなかったので簡単に挨拶する程度で失礼をしてきた。立ち話でおよそ3分ほどであったが、昔と変わらずこのご婦人はとても好きな方だと実感した。
私が前の会社に就職した時、相談役は副社長の立場で会長が社長であった。もしもずっとそのままであったとしたら私は今でもまだあの会社に勤めていたかもしれない。
何年勤めても下がることはあっても上がらなかった給料でもあの会社に居続けたのは当時の社長夫妻の人柄が好ましかったからだ。ご夫妻揃って人の良い品のある方々であった。
私ももう一人いた事務員もこのご夫妻がとても好きであったから当時の専務にどんなに理不尽な扱いを受けても我慢してきた。
ただすでに私がはいった頃には社長は患っておられ療養中であった。それから4年ほどして結局専務に社長交代してしまった。この人は育ちは良いようだが会長夫妻とは違い品や人望のない人だった。人望がない人が権力を持つことは周囲の人間にしてみれば不幸だ。その後社員の半数以上が辞めていくことになった。
私はおそらくその最後の方の人間だ。気がついたら平の正社員の中で私が入社前から居るのは営業と運転手が一人ずつのみになっていた。自分が社長になる前から居る社員を強制的に辞めさせていったからだ。
そうなれば次のターゲットは私だろうと辞めることにしたのだが、最後の社内の雰囲気の悪さが非常に後味を悪くした。
それから約2年して初めて前の会社の関係者にあったわけだ。
正直に言えば嬉しかった。私はかなり短期間で辞めてしまったので相談役にきちんとご挨拶できなかったからだ。ご健康を気にしていたが以前と変わりない様子で本当に安心した。
別れ際相談役に「Sさん(一緒に働いていた事務員)は時々遊びに来るのよ。たまには顔を出して」と言われた。凄く驚いた。
Sさんは私より一月ほど早く辞めさせられた人だった。3つほど年上の肝っ玉姉さんという感じのいい人だったが、社長から疎まれてひどい辞めさせられ方をした。はっきりいってそれが私の辞める理由になったのだ。
そのSさんが元の会社に顔を出している―――もちろん社長たちに会いに行っているわけではないだろう。きっと会長夫妻や後任の事務員の様子が気になるのだ。彼女は優しい人だったから。
それでも私は顔を出すのは気が引ける。会長夫妻の体調は気になっていたがどうしても行ってみようという気にはなれなかった。
行くとしたら私が休みで会社が営業している土曜日だが、あいにく今の会社では12月末まで土曜休みがないのも理由にある。
Sさんを思えば私はかなり不義理している気がする。
時が経ってあの頃の嫌な思いに今更とらわれることはないが、それでもなかなか大人らしい対応が出来ないでいることがわかり自分の了見の狭さを改めて知ることになった。
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