昼休みの休憩室(食堂)はいつもNHKが映っている。
特に見ているわけではない。いつも何となく眺めているだけなだ。そもそも食事だけのために休憩室にいるのでテレビには殆ど関心がない。食べ終わればすぐに退室してしまう。
そんな食事中今日は歌番組が流れていた。
童謡や民謡などの歌が多かったがその中の「赤とんぼ」の時あれっ?と口に入れた物を一瞬落としそうになってしまった。
日本に住む日本人なら誰でも一度は聞いたことがある歌だ。私だってこの歌は全ての歌詞を歌うことが出来ると思う。それくらいよく知っている歌のはずだった。
しかし・・・テレビ画面に映った歌詞を見て自分が間違っていたことに初めて気がついたのだ。
音として耳に聞くなら先ほどの歌詞は正しく覚えている。
だが、今日のNHKの画面に映った歌詞はきちんと漢字が当てられていたのだ。
夕焼けの空に飛ぶ赤とんぼを背負われて見たのはいつだっただろう・・・そういう歌詞であると思う。
しかし私は「負われて見たのは」を「追われて見たのは」だと思い込んでいたのだ。つまり(子供などに)追いかけられている赤とんぼを見たのはいつだったのだろう、と思っていたのだ。
漢字ではなく音で覚えたため思い違いをしていたのだ。
初めてこの歌を知ったのはいつだったのかもう思い出すことも出来ないがおそらく30年近く間違っていたことにひどく驚いた。
こういう時日本語とは面白いと感じる。同じ音の言葉も漢字が変われば全く意味が変わってしまう。うっかり捕らえているとこういった間違いも起こるし間違っていても気がつかないまま来てしまうこともある。
歌の歌詞の場合、聞き取っていてもこうして意味を違えることもあるが、聞き取りにくい故に間違って覚えてしまうこともある。
サザンオールスターズに「真夏の果実」という曲があるが、この中に出てくる「四六時中も好きと言って」という歌詞を長らく私は「広く地球を好きと言って」だと思っていたし、聞き間違いは他にも数知れない。
最近の曲は歌詞が音として聴き取れない曲も多くなった。
だからなのか少し前の昔のヒット曲のリメイクブームに妙な安心感を感じた覚えがあったりする。
表現の方法は数々あれど、歌はやはり歌詞を聴かせることが一番だと未だに昭和の感覚しかないアラフォー女は思っている。
特に見ているわけではない。いつも何となく眺めているだけなだ。そもそも食事だけのために休憩室にいるのでテレビには殆ど関心がない。食べ終わればすぐに退室してしまう。
そんな食事中今日は歌番組が流れていた。
童謡や民謡などの歌が多かったがその中の「赤とんぼ」の時あれっ?と口に入れた物を一瞬落としそうになってしまった。
ゆうやけこやけの あかとんぼ
おわれてみたのは いつのひか
日本に住む日本人なら誰でも一度は聞いたことがある歌だ。私だってこの歌は全ての歌詞を歌うことが出来ると思う。それくらいよく知っている歌のはずだった。
しかし・・・テレビ画面に映った歌詞を見て自分が間違っていたことに初めて気がついたのだ。
音として耳に聞くなら先ほどの歌詞は正しく覚えている。
だが、今日のNHKの画面に映った歌詞はきちんと漢字が当てられていたのだ。
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
夕焼けの空に飛ぶ赤とんぼを背負われて見たのはいつだっただろう・・・そういう歌詞であると思う。
しかし私は「負われて見たのは」を「追われて見たのは」だと思い込んでいたのだ。つまり(子供などに)追いかけられている赤とんぼを見たのはいつだったのだろう、と思っていたのだ。
漢字ではなく音で覚えたため思い違いをしていたのだ。
初めてこの歌を知ったのはいつだったのかもう思い出すことも出来ないがおそらく30年近く間違っていたことにひどく驚いた。
こういう時日本語とは面白いと感じる。同じ音の言葉も漢字が変われば全く意味が変わってしまう。うっかり捕らえているとこういった間違いも起こるし間違っていても気がつかないまま来てしまうこともある。
歌の歌詞の場合、聞き取っていてもこうして意味を違えることもあるが、聞き取りにくい故に間違って覚えてしまうこともある。
サザンオールスターズに「真夏の果実」という曲があるが、この中に出てくる「四六時中も好きと言って」という歌詞を長らく私は「広く地球を好きと言って」だと思っていたし、聞き間違いは他にも数知れない。
最近の曲は歌詞が音として聴き取れない曲も多くなった。
だからなのか少し前の昔のヒット曲のリメイクブームに妙な安心感を感じた覚えがあったりする。
表現の方法は数々あれど、歌はやはり歌詞を聴かせることが一番だと未だに昭和の感覚しかないアラフォー女は思っている。
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