それでもこれが今日という日
2009年9月24日 雑記嫌な1日だった。
連休明けの仕事だから忙しいのは覚悟していたが、工場で人が足らないため急遽営業事務が手伝いに行くことになり私が変わって営業事務をやることになった。
彼女には3月から4月にかけてマニュアルを渡しやり方を教え仕事を引き継いだ。それから約5ヶ月やってきたはずなのだが・・・あまりにも適当な仕事のやり方に唖然としてしまった。
結局急ぎの発注をした後バラバラに閉じてある注文書を整理して、貯まりに貯まった仕入れ伝票のうち最も手がかかる物を片付けただけで1日が過ぎてしまった。
これだけの汚い仕事ぶり&遅れ過ぎている仕事ではなるほど周囲の人の注意や嘆きが減らないはずだと納得した。今更ながらに申し訳なく恥ずかしくなってしまった。
そのため3時過ぎに彼女が戻ってきた時に思わず思い切り怒鳴ってしまった。
それから私が調べても判別できない内容の物をすぐにやり直しさせたのだが、それもすぐに解決できないため更に怒る・・・結局終業時間までずっと怒り続けることになってしまった。
はっきり言って自己嫌悪である。もう滅茶苦茶落ち込んでいる。
人に注意する、人の行為を正すというのは人格者がするべき事である。私のような徳のない人間がすることではない。それを1日中やっていたのだからもう本当に情けないしみっともない。
だからこうして家に帰ればただ脱力するだけだ。登校拒否の子供のように明日出社拒否したくなってくる。
実際に彼女に怒鳴ったのは彼女に腹が立ったからではない。自分の未熟さに苛立ったためだ。この状態を放置してしまった、彼女に諭すことが出来なかった、何よりこんな仕事の状態を見て腹を立ててしまった自分に憤慨したのだ。もうアラフォーの年齢なのに未だに自分の感情に振り回されている。
とりあえず明日からはもう少し彼女の仕事を注意深く見なければいけないだろう。でもその中で今日のように怒鳴ることは極力ないようにしたい。
自己嫌悪はいつものことだがそれが度を過ぎれば自己崩壊につながる。10代の頃のような不安定さはないがそれでも未だに自分は信じられない部分がある。なるべく感情の振れすぎは避けたい。
冷静に状況を観察し的確に指示を出す―――今日の醜態を反省し生かすことが嫌な1日でも存在した意義があることに出来るのだと思うしか今は出来ないでいる。
連休明けの仕事だから忙しいのは覚悟していたが、工場で人が足らないため急遽営業事務が手伝いに行くことになり私が変わって営業事務をやることになった。
彼女には3月から4月にかけてマニュアルを渡しやり方を教え仕事を引き継いだ。それから約5ヶ月やってきたはずなのだが・・・あまりにも適当な仕事のやり方に唖然としてしまった。
結局急ぎの発注をした後バラバラに閉じてある注文書を整理して、貯まりに貯まった仕入れ伝票のうち最も手がかかる物を片付けただけで1日が過ぎてしまった。
これだけの汚い仕事ぶり&遅れ過ぎている仕事ではなるほど周囲の人の注意や嘆きが減らないはずだと納得した。今更ながらに申し訳なく恥ずかしくなってしまった。
そのため3時過ぎに彼女が戻ってきた時に思わず思い切り怒鳴ってしまった。
それから私が調べても判別できない内容の物をすぐにやり直しさせたのだが、それもすぐに解決できないため更に怒る・・・結局終業時間までずっと怒り続けることになってしまった。
はっきり言って自己嫌悪である。もう滅茶苦茶落ち込んでいる。
人に注意する、人の行為を正すというのは人格者がするべき事である。私のような徳のない人間がすることではない。それを1日中やっていたのだからもう本当に情けないしみっともない。
だからこうして家に帰ればただ脱力するだけだ。登校拒否の子供のように明日出社拒否したくなってくる。
実際に彼女に怒鳴ったのは彼女に腹が立ったからではない。自分の未熟さに苛立ったためだ。この状態を放置してしまった、彼女に諭すことが出来なかった、何よりこんな仕事の状態を見て腹を立ててしまった自分に憤慨したのだ。もうアラフォーの年齢なのに未だに自分の感情に振り回されている。
とりあえず明日からはもう少し彼女の仕事を注意深く見なければいけないだろう。でもその中で今日のように怒鳴ることは極力ないようにしたい。
自己嫌悪はいつものことだがそれが度を過ぎれば自己崩壊につながる。10代の頃のような不安定さはないがそれでも未だに自分は信じられない部分がある。なるべく感情の振れすぎは避けたい。
冷静に状況を観察し的確に指示を出す―――今日の醜態を反省し生かすことが嫌な1日でも存在した意義があることに出来るのだと思うしか今は出来ないでいる。
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