私の父は選挙が好きである。
といっても活動をするのではなく雑誌や新聞を買い漁って自分なりの予測を立てその結果を確認するのが好き、というごく個人的な楽しみの中のひとつが選挙なのである。
私や母から見れば何がそんなに面白いのかまったくわからないが父は選挙の日はいつも遅くまでテレビを見ながらあの人は落ちた、この人は受かったと確認している。

そして今日、歴史が変わったのかもしれない総選挙があった。

結果は予想通り与党大敗・民主躍進であった。長い官僚主体の自民政権に嫌気を感じた有権者が下した決断だったのだろう。結果は概ね納得できるものだった。

私が選挙で投票する時、最後の決め手になるのは「顔」だ。美人だからとかハンサムだからということではない。その役職に就くにふさわしい顔をしているか否か、である。

例を言えば、総選挙の少し前に静岡県で県知事を選ぶ選挙があった。
すぐに手を上げたのは海野氏。元参議院議員である。その後自民党・共産党・民主党推薦の候補が立ち四人で選挙戦が行われた。
顔ぶれを見たときに私は「自民党は間違ったな」と感じた。自民党は女性候補であったが申し訳ないが彼女の顔は自治体のトップの顔ではない。たとえこの先自民党が盛り返しても私はこの人を知事に選ぶことは絶対に無いだろう、と思った。
共産党推薦の候補は申し訳ないが勝てる要素が無い。今はあくまで自民か民主の争う時代だ。共産はどちらとも違う完全野党でありこの党が政権をとることは無い。そうなれば自治体の顔としてトップに立つのは不具合だ。彼の場合は顔以前にその問題で私の中で候補から外れた。
残るのは海野氏と民主推薦の川勝氏だ。正直顔で選ぶ私的にはどちらでもかまわないな~という感じだった。似たり寄ったりの2択しかないからそれは仕方ない。
だから父には川勝氏以外に入れることは自民を応援することと同じだといわれ自民党には勝たせたくないから川勝氏にしようかな、とも思った。

結果からいえば私は海野氏に入れた。自民に勝たせるのは嫌だったが割れないことで民主の圧倒勝利にもしたくなかった。とりあえず背後が無いという意味で海野氏にしたわけだ。理想は民主が自民に競り勝つが過半数には行かない、というものだった。民主が割れて自民が逃げ勝つという最悪な結果になることも考えられるがその時はまぁあきらめようというわけだ。

そうして開票してみたらまさに私の希望通りの結果になっていた。民主と自民が約4割、海野氏が2割で民主が勝ったが過半数には到達できなかった。川勝氏は自分は勝ったが自分以外に入れた人数が多いことを自覚するだろうし、この結果でよかったのだと思った。

そして総選挙である。

私の投票は小選挙区では生きて、比例区では死に票になった。
自民か民主かの小選挙はともかく比例は民主が大勝ちしそうだったのでそれ以外の野党に投票しようと考えたのだ。当初は共産に入れるつもりだったが共産は比例では議席が取れそうであったしできればそれ以外の党にも議席を取ってほしかったので直前に変更した。そして同じように考えた人は多かったのかその党はちゃんと1議席取れるだけの得票を取ったのだ。…しかし結局のところ議席は無かった。小選挙と比例と重複する場合は小選挙区で1割以上の得票が必要、という条件が結局票を無駄にすることになったのだ。
いったいどのくらいの有権者がその条件を知っていただろう。選挙のルールくらい知っておくべきだ、といわれるかもしれないが今のような小選挙では大きな力を持つ党が絶対的に有利だ。それ以外の小さい政党に議席を与えるとするなら個人の元々の名声が高いかもしくは比例でしかまずありえない。その比例の結果が小選挙区の結果によってはじかれてしまうなら最初から小選挙区には出馬するな、といっているようなものである。なんとなくこれは納得できない決まりである。

これは今更言っても仕方無いことなのだ。しかし議員の定数を削減しようという動きがある今選挙のやり方をもう一度見直しする必要があると思う。
そしてどういう時流にせよ今回の総選挙で選ばれた議員の方々には各地元の有権者の意思に従ってより良い社会を作るような政策に奔走してほしい。まかり間違っても互いの足を引っ張り醜い泥仕合を演じることは……もう二度と無いように願いたい。選んだものの一番の願いは選ばれたものが選ばれたにふさわしい行為を行い続けることであることを任期の間中忘れないでもらいたいものである。

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