便利と不便利と・・・
2009年8月22日 雑記インターネット社会は活用方法を誤らなければかなり便利な世界である。
自宅にいながら世界中で起こっている事象を知ることができるのだから。
何か知りたいことがあればネットで検索をする、それが習慣になりつつある。
しかしながらそれはあくまでも世間の話題に挙がっている事象だけだったのだと知ることになった。
何でそんなことをしようと思ったのかは正直わからない。たぶん暇だったのだろう。ネットの検索ワードに自分の名前を入れてみたのだ。
私の名前は音では珍しくないが漢字になるとあまり無い名前だ。検索して何が知りたかったわけでもないがななんとなくそんなことをしてみたのだ。
結果を言えば何もヒットしなかった。私の本名に係る個人的なことはネットの世界には何も無いのだと知った。まぁそれは良いことだと思えたので結果はそれなりに満足だった。
続けて私は親友のMさんの名前を入れてみた。こちらは姓名も漢字も珍しくない名前なので私と違ってヒットした。同名のデザイナーがいたりハンドルネームが似ている人のサイトが引っかかったり…いろいろ見て回るのは面白かった。
それから次々と自分の知っている名前を検索ワードに入れてみると、私のようにまったく引っかからないほうが珍しいようで何かしらの反応がある場合が多かった。
しかしほとんどは別人である。本名でネットに本人の情報があったのは40人ほど調べて3人しかいなかった。
そのうちの一人はかつてある雑誌でライターをしていたためだった。これは私も知っていたがまさか本名で書いていたとは思わなかった。
主に読者のブログの感想に引っかかるのだが、熱心なファンと雑誌にはあわないと拒否する読者の両極端が面白かった。その雑誌に関して某○ちゃんねるのスレッドがあるのだがその中では彼女の当時の職場や家族のことまで書いてあって気分が悪かった。別に共感できない記事があっても作者の人格や環境まで否定・非難する必要は無いと思うのだが世の中にはそういった人間も多くいるのだと残念に思ったりした。
こういう現実を知るとネットの中で本名が知れることが無いほうがいいと思う。
ネットはあくまでバーチャルな世界。現実と虚構が渦巻いている。現実の自分なんて必要ない。現実だけで自分をもてあましているのにネットまで苦しめられたくない。
情報を調べるときもう少し詳しくならないかな~と思うこともあるが日常身の回りのことくらいは曖昧のままでよいのかもしれない、そうあってほしいと願わずにはいられない出来事だった。
自宅にいながら世界中で起こっている事象を知ることができるのだから。
何か知りたいことがあればネットで検索をする、それが習慣になりつつある。
しかしながらそれはあくまでも世間の話題に挙がっている事象だけだったのだと知ることになった。
何でそんなことをしようと思ったのかは正直わからない。たぶん暇だったのだろう。ネットの検索ワードに自分の名前を入れてみたのだ。
私の名前は音では珍しくないが漢字になるとあまり無い名前だ。検索して何が知りたかったわけでもないがななんとなくそんなことをしてみたのだ。
結果を言えば何もヒットしなかった。私の本名に係る個人的なことはネットの世界には何も無いのだと知った。まぁそれは良いことだと思えたので結果はそれなりに満足だった。
続けて私は親友のMさんの名前を入れてみた。こちらは姓名も漢字も珍しくない名前なので私と違ってヒットした。同名のデザイナーがいたりハンドルネームが似ている人のサイトが引っかかったり…いろいろ見て回るのは面白かった。
それから次々と自分の知っている名前を検索ワードに入れてみると、私のようにまったく引っかからないほうが珍しいようで何かしらの反応がある場合が多かった。
しかしほとんどは別人である。本名でネットに本人の情報があったのは40人ほど調べて3人しかいなかった。
そのうちの一人はかつてある雑誌でライターをしていたためだった。これは私も知っていたがまさか本名で書いていたとは思わなかった。
主に読者のブログの感想に引っかかるのだが、熱心なファンと雑誌にはあわないと拒否する読者の両極端が面白かった。その雑誌に関して某○ちゃんねるのスレッドがあるのだがその中では彼女の当時の職場や家族のことまで書いてあって気分が悪かった。別に共感できない記事があっても作者の人格や環境まで否定・非難する必要は無いと思うのだが世の中にはそういった人間も多くいるのだと残念に思ったりした。
こういう現実を知るとネットの中で本名が知れることが無いほうがいいと思う。
ネットはあくまでバーチャルな世界。現実と虚構が渦巻いている。現実の自分なんて必要ない。現実だけで自分をもてあましているのにネットまで苦しめられたくない。
情報を調べるときもう少し詳しくならないかな~と思うこともあるが日常身の回りのことくらいは曖昧のままでよいのかもしれない、そうあってほしいと願わずにはいられない出来事だった。
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