中国に住んでいる高校時代の部活仲間が帰国していると言うことで、久しぶり集合がかかった。少々迷ったが久々に帰国した彼女に会いたくて参加することにした。
集まったのは先輩4人、同学年4人、後輩1人の計9人。
3年ほど前にも集まったがその時よりも若干人数が多い。お盆時で帰省している人がいたからかもしれない。

高校時代は思い出す限り私にとっては一番平和な時代だ。

良かった、とは言わない。十代特有の悩み多い時代である。今から思えば些細なことでも生きていけないと思い込むほど苦しんでいた頃である。

それでも今になって思い出すにはあの時代は私にとって平和だ。苦しかった反面自らの身の置き所を持てたと思える場所があったからだ。

小学校から高校時代まで学校・学年・クラスという枠に苦しめられてきた。たまたま同じ学校、たまたま同じ学年、たまたま同じクラスになった、ただそれだけでどうして枠に括りこめられなければならないのだろう。日頃は人のことをバカにし毛嫌いし無視しているくせに何かあれば『クラスメートなのだから協力するのが当然でしょ』と言われる。自らの人格を否定されてなおなぜ美しき協調性を演じなければならないのだろう。
私は優等生であったからずいぶんと長くその役を演じてきた。面倒ごとになるとすり寄いへつらってくる連中の尻ぬぐいをしてきた。事が片付けば手のひらを返されるのも知りながら・・・
自らと周囲の取り巻く矛盾に徐々に狂ってきたのだろう、中学時には精神を病んでいた。病んでいるときは幸せである。なぜなら己の見苦しい姿を自覚しないから。真に苦しむのはその事実を自ら認識し恥じたときである。己は駄目な人間だ、壊れた欠陥品だ・・・その認識をその後ずっと持ち続けることになる。

高校に入った頃は自分が壊れていることを認識していたから自ら他人と距離を置く生活をした。幸いなことに進学校である。他人はどうあれ自分だけはよくありたいを言う人間が多かったためか当初は比較的穏やかだった。
しかし2年になり文系理系と分かれると状況は変わる。私は文系だったため教室内に女子の比率が高まったのだ。少数であったときは集団はできなかったがある程度の数になると仕切りたがりが出てきて集団化を求めるようになる、女とはそういう性質があるらしい。
必要以上に他人と関わりを持ちたくない私はそうなるともう耐えられない。結局授業以外の時間は教室から立ち去るようになっていった。
逃げた場所は部室だった。本来は部活動以外の時間に居てはいけない場所だったが私は登校したらまず部室に行きチャイムが鳴る直前に午前の授業道具を持って教室に行く、終わると道具を持って部室に行き昼休みを過ごす、午後のチャイムの直前に授業道具を持って教室に行き終わると部室に戻る・・・という生活をしていた。
私にとって部室は平穏な場所だった。必要以上に干渉されることもなく一人で居たければいることもでき話し相手が欲しければそういった相手も居る。本を読んだりゲームをしたり先輩たちの話を聞いたり・・・そして時々部活動をしたり無理に何かを求められることのない場所だったのだ。

過去を振り返るときできれば悪いことは避けたいものである。だから高校時代を思い出すとき大抵は部室の光景だ。何となくゆったりと時間が流れていたような気がする空間だ。そういう場所にを思わせてくれた私以外の構成員にはそういう意味でとても感謝している。個々にはそれぞれ違った思いがあるがトータル的にはそうである。
だから部活のメンバーたちが集まろうという話を聞くとちょっと心が浮き立つ。あの空間の名残をまた感じ取れるかもしれないと期待するのかもしれない。
大学そして社会人となって最早そういった場所を見つけることができなかったから郷愁に近い思いがあるのかもしれない。

しかしながら同時にものすごく不安に襲われる。
私はすでに高校生でなくそしてそれは他のメンバーも同じなのだ。それぞれに違う空間で違うものを見て違うことを経験してきた。時間が経つ中で人間関係そのものが変わってしまった仲間もいる。
あれは私の中で描いた幻だったのでは・・・と思ってしまったらそれはとてもたまらないだろう。そうでなくても色んな意味で生々しい現実を突きつけられるのも辛いことだ。
私自身はそれほど環境が変わっていないが殆どの人々は最早家庭を持ち子供がいて日々の現実を堅実に生きている。同じ時間を過ごしていたはずなのに自分は時間を無駄にしてきたのでは・・・と感じてしまったらそれはとても辛い。

2年ほど前にも一度集まらないかという話があったけれどそれを断ったのはそういった思いがあったからだ。その時は他の人も集まらなかったらしく結局飲み会は開かれなかった。
集会を企画した我が親友には苦労をかけてしまって申し訳なく思ったがこれはもう仕方がない。

それでも今回は参加した。中国に行った彼女に会える数少ない機会だったから。
最後にあったときより随分やせていて心配したが本人は意外に元気そうだった。マイペース加減も相変わらずで何となく案じていた気分が苦笑に変わってしまうのが懐かしい感じがした。
他のメンバーとも乾杯しひとしきり盛り上がり久々の会話を楽しんだ。が、2時間ほどで早々に退席してきた。

翌日に遠出する予定が合ったため最初から途中で抜けることは言っていたが、正直長時間は無理だろうと言う思惑は最初からあった。私的には集まったメンバーがとりあえず皆元気でやっていることさえ確認できればそれで満足なのだ。店を出たときにはぼろが出ないうちに退散できて安堵の息を吐いた位だ。

懐かしむ過去とそこにいた人々との現在の邂逅―――それは甘いようで同時に切なく悲しい香りを持っている。酔うことができれば幸せだろうが溺れることができるほどもう若くはない。
次に再び集うことがあるのかわからないが、その時はまた同じように悩むに違いない。自分は了見が狭い人間だと思いながら・・・

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